最後の授業
自分は2年間、ビジネススクールに通っていた。そこは大学とは異なり、自ら面倒な選択をして自分を鍛えよう、という意志を持った人間の集まりだった。
毎日ケースを読み、問題を整理して解決策を考え、整理するのに足りない理論面は自分で読み込み、授業でディスカッションをしながら頭をフル回転させる、その連続だった。
それほど面白くもない授業もあるが、教授も熱意を持ってのめり込み、まさに毎時間が真剣勝負、というような授業は、本当に終わるのが惜しかった。
最後の授業では、自分の人生談を語る人、我々へのエールを語る人、その科目のエッセンスを一言で言う人、さまざまだった。マーケティングの教授の最後のコメントは、「マーケティングはロジックだということがわかっただろうか。全ての要素が論理的に矛盾していないマーケティングプランでさえ、成功するかはわからない。ただ言えるのは、プランの上でロジカルでないものは実行しても必ず失敗する。」 ファイナンスの教授は「結局ファイナンスなんていい加減なものです。」 うーん、面白かったし、社会人に復帰した数年後の今でもなお納得する。
2年生の時の証券理論の先生はさんざん最新の理論を叩き込んだ後、最後に生徒全員に「幸福論」という哲学書をプレゼントして、「ビジネススクールは別に最新の理論を学ぶところではない。そんなものはすぐに古くなる。ましてやMBAなんていうタイトルのためでもない。これからどのような困難なことが起きてもあきらめずに解決しようという姿勢。自らを奮い立たせる”Attitude”を身につけるところだったということだ」と締めくくった。
こういうのはどこでもあるようで、ハーバード・ビジネススクールではこの「最終講義」を集めた本も出ていたりする。(「ハーバードからの贈り物」by デイジー・ウェイドマン)
さて、本題は「最後の授業」という1冊の本。最近ネットでも話題になっているので知っている人も多いだろう。
カーネギーメロン大のランディ・パウシュ教授が、膵臓癌で余命数ヶ月と宣告され、その「最後の授業」をしたときの話だ。本はその後書かれたものなので、まずは実際の授業の模様をYouTubeで見るのがおすすめ。「最後の授業」と入れれば10個くらいのファイルに分かれているのですぐわかるでしょう。なんと日本語字幕つき。もしくはDVDつきの本を買ってDVDをまず見るといいだろう。
彼はまだ40歳代で子供は5歳、2歳、1歳。んー、想像するだけでやりきれない。そして最後の授業は病気の話でも、家族の話でもなく、自分が子供のころから何を夢見て、それをどうやって実現してきたかの話だ。
授業は笑いの中で行われ、最後にこう締めくくられる。
「今日の授業でHead fakeに気づきましたか?」
Head fakeと辞書で引いても出てこない。字幕では「頭のフェイント」と訳されていたが、つまり本人は気づかないままに、その時は気づかないが後になってわかる教え、というような意味だ。
「今日は夢をいかに実現するかについて話をしたのではない。それは逆で、人生を正しく生きていれば、運命は自然と動き出し、夢の方から近づいて来るものだと思う。」
うーん、なるほど、一本取られたなーと思っていたらさらにこう続く。
「それでは2つ目のHead fakeには気づきましたか?」
「それは、この授業は皆さんのためではなく、私の子供のためにしたのです。」
本当にすばらしいエンディングだった。
彼は自分の舞台である「授業」を通じて、今はまだ小さくて自分の想いを伝えられない子供たちに、父親としてタイムカプセルを遺そうとしたのだ。
ガンジーの言葉に"Live as if you were to die tomorrow, learn as if you were to live forever." という言葉がある。
大げさだけど、たまには思い出してせめて反省だけでもしなくちゃ・・・。
<<追悼>>
この記事をアップした2日後、2008年7月25日、パウシュ教授は膵臓癌で亡くなられました。心よりご冥福をお祈りします。
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