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2008年3月

3年で辞めた若者はどこへ行ったのか

書店で、城繁幸著「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか」を見かけて、特に関心もなかったけど試しに読んでみた。著者は富士通の人事を退職して「内側から見た富士通・成果主義の崩壊」を出版し、話題になった人。こんな内部告発を本にしてしまっては、もうこれで食べていくしかないだろうな、と思っていたらその後は「人事コンサル」として本を書いたり、講演をしているようだ。そして近年、「若者はなぜ3年で辞めるのか」が再度ベストセラーになった。

富士通の本を出すときも「知ってしまった以上、言わないとだめだと思った」と言っていたが、何というか子供っぽいことばかり言う人だなーという印象がある。そういう意味で、最近どんな本を書いているんだろう、と思って買ったわけだ。新書だから1時間あれば読めるし。

内容は会社をすぐに辞めた若者のその後のインタビューを脚色して並べている感じ。言っていることは・・・

1.会社員は皆、1度就職したら給料が安くても、拘束時間が長くても、文句を言わずに退職まで会社にぶらさがる。=これを「昭和的価値観」と名づける。

2.そんな人たちを見て、自分の将来の姿に絶望感をいだいた若者は、「昭和的価値観」にとらわれず、3年以内に会社に見切りをつける。

3.その後彼らは「やはり辞めてよかった」と言っている。

4.ということで「昭和的価値観」の人達は最悪だ。

まあ、こんなところだろう。別に目新しいことが書いてあるわけでもなく、全く反論はないのだが、どうも彼の主張には同意できない。新卒で入社した会社を3年で辞めることが成功の人もいるだろうが、そうではない人もたくさんいると思う。

■ 新卒3年で辞めることに対する反論

3年で仕事の適性が本当にわかるのだろうか?自分のことを思い返しても、3年というのは自分の欠点、問題点に気づくか気づかないか微妙なタイミングだろう。つまり3年で辞める人の中には、最初の壁にぶちあたる(もしくは壁があると気づく)前に辞めてしまう人もいるだろう。

彼らは「この仕事は、自分が全力を出す価値のない仕事だ」と考えるのだろう。しかし本当にそうなのか。全力を出すこと自体、自分にはできると思っているのだろうか?もちろん全力を出すことができる人もいる。そういう人は場所を変えて、成功することもあるだろう。しかし、全力を出すことができない人もいる。そういう人は、場所を変えてもまた場所のせいにするだけだ。

仕事をするにあたって、個人の能力差(いわゆる地頭)の差は確かにあると思う。極端な例だと、覚えたくなくても1度見た数字を忘れないという人は確かにいる。まあそんな人は世界に一握りであって、大多数は小さな差の中に収まっている。その能力の差よりも大きいのは「全力を出し切れるかどうか」の差だと思う。それに気づかず、全力を出す前に「全力を出す価値がない」と判断して仕事を変えるのは、ちょっともったいないかな、と思う。もちろん、全力を出せる人が結果的に早めに決断する、ということであれば賛成だ。

■ この本に対する感想

1.どうも論理的に抜けがありすぎる。また言葉も「絶対に」「完全に」「~だけ」というような口調だが、根拠がわからない。なので、やはり子供っぽい印象が残る。自分にその点を批評するだけの論理力もないから、この点はこれくらいにしておきます。

2.昭和的価値観の人はどこにいっていもいる。そうした人をいかにのせて動かし、組織を動かしていくのか、がマネジメントだと思う。つまり一担当者という役割を超えて、「会社をどう動かすのか」という視点を、社会人は常に持っていなければならない。たとえ一担当者としても。著者の視点からこの点は欠けているのではないか。

3.そして最大の違和感。「昭和的価値観」は自分はもちろん同意できない。そして著者の主張は反「昭和的価値観」。でもこれにも同意できない。つまり「昭和的価値観」vs「反・昭和的価値観」のどちらにも自分の価値観はあてはまらない。

この本のベースにあるのは昭和的価値観の人達に対する批判というか、「文句」のような気がする。彼らはもう成長できないんだから、彼らに対処するためには自分が成長するしかないだろう。でも著者は非常に「無邪気な」姿勢でこうした人達に真っ向から歯向かってみせている。著者自身のブログではあえてそう試みたようなことが書いてあるが、誰に対して何の効果を狙っているのか理解できない。

ということで、1時間もかからず読んでしまったが、平積みになっているということは売れている本なのだろう。誰が買っているのかな。昭和的価値観の人が目から鱗を落とすのか。入社直後に辞めたくなっている人が背中を押してもらっているのか。

この本を読んでいて、尾崎豊の「卒業」を連想したのは自分だけだろうか。

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新銀行東京

最近話題の新銀行東京。私がビジネス・スクールにいる頃にちょうど開業準備室のスタッフを募集していて、「新しい銀行を一緒に作ろう」みたいな大々的に感じでスタッフを集めていた記憶がある。

この銀行に対して、都が400億円の追加投入をするかどうかで都議会が揺れている。石原知事いわく、「死にそうになっている人間なんだから、人工呼吸か心臓マッサージをしないと、死んでしまっては元も子もない」そうだ。

この銀行はそもそも、石原都知事が2003年の知事選で貸し渋りに悩む中小企業の支援策として掲げたもので、2年後に開業している。

まず、この銀行の問題の出発点はこのタイミングにある。公約から2年が経って開業する頃には、銀行の不良債権処理も終了し、銀行は既に中小企業に金を貸していた。つまりそもそも機を逸して作らなくても良いものだったのではないだろうか。

それでも貸し出しの実績を作らなければ事業が成立しないので、無担保・無保証の自動審査システムによって、「スピーディに」融資をした。つまり「財務情報」だけで融資したのだが、結果として2004年以降に融資した中小企業の30%に及ぶ4000社が債務超過の状態だったのだ。いかに中小企業の財務情報があてにならないか、ということだろう。

最近のニュースではこの「貸した金」の側面ばかりが取り上げられているが、本当に問題はそれだけだろうか。銀行のビジネスといえば、お金を集めてそれを貸す。そう、集める側に問題がないのか調べてみた。

新銀行東京は、4300億円の預金を集めているが、多くは「特別金利キャンペーン」で集めたものらしい。例えば5年定期で1.7%もの金利がつく、とうたって預金を集めたものだ。これが2006年9月まで大々的に行われたのだが、これが満期になるのは2011年9月。そのときに高金利の預金を返すことができるのかが、新銀行東京のタイムリミットである。石原知事はなぜそうした話を具体的にせず、とにかく今をしのごうとしているのか?石原知事の任期が2011年4月までなのがその答えなんじゃないだろうか。

つまり、今とりあえず資金を投入して銀行を存続させる。当然再建は難しい。(今示されている黒字化に向けてのP/Lシミュレーションでは、黒字になる3年後は貸倒引当金がゼロという、ありえない前提になっているし・・・)

そして石原知事が退任した後、とうとう定期預金を返せずにギブアップする。というシナリオが一番ありそうなストーリーだ。

今400億円を投入しないともっと損失が大きくなる、と石原知事は説明しているが、再建可能性が限りなくゼロに近い以上、これ以上コストをかけないことがトータルで一番損失を小さくする唯一の方法だろう。資金を投入するとしたら預金者保護のためだけにするべきだ。

都は、ずさんな融資をした前経営陣に責任がある、としているが、そもそもこの組織は設立自体に問題があるわけで、「作った人の責任」が一番大きいんじゃないかな。

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日銀総裁

日銀総裁人事がここにきてニュースになっている。福井総裁の期限が切れる19日がいよいよ迫ってきたためだ。

今日、参議院で武藤副総裁の総裁昇格と伊藤教授の副総裁就任が否決された。この人事がなぜこんなにもめて、ニュースになるのか。それは日銀総裁人事は衆議院と参議院の両院で可決されなければならないため、今のねじれ国会状態である限り、民主党が反対すれば絶対に通らないためだ。

この規定はねじれ国会になったときから話題になっていたので、調整の時間は十分にあったはずだ。

しかも今は世界経済(米国経済)の緊急事態だ。各国の中央銀行が連携をとり、世界全体の危機に対処しているその最中だ。

民主党の反対の理由は、武藤副総裁は元財務事務次官なので、財政・金融分離の原則に違反する、ということだ。まあ仮にそうだとして、伊藤教授の反対理由は、「経済財政諮問会議のメンバーで、格差社会を促進した人物だから」とのことだ。これで、民主党は何の主義・主張もなく、単にねじれ国会状態を利用して対自民党のパフォーマンスをやっているだけなのがわかってしまった。事実、民主党の某幹部が「武藤総裁に同意して日和見したとメディアに書かれたくない」とコメントしている。

ではいったい民主党は誰が適任だと考えるのか?まさに「反対するなら代案を出せ」だ。

自民党としてはこうなると別の候補を出すしかないだろう。榊原氏か?民主は財政・金融分離の原則を持ち出して反対するのだろうか。

ただ、次期総裁は間違いなく金利を上げるべきか下げるべきかという正解のない意思決定を迫られる局面がくるだろうから、このタイミングで引き受ける人はそういないだろう。となると、民主党にとっての着地点は、自民党が武藤総裁を再提案し、その決議を欠席する。そうして自民党が強行採決したことにして、何か問題があったときに自民党の任命責任を追及する。今の民主党にできるパフォーマンスはこの程度じゃないだろうか。

最悪のシナリオは日銀総裁不在だ。民主党幹部はそれでも仕方ない、と言っているが、それはありえない。世界経済の緊急事態の中、幼稚な政治パフォーマンスに終始していると本当に世界の笑いものになってしまう。事実、ついさっきのBBCニュースでも、総裁不在はありえない選択だ、と伝えられていた。となると福井総裁緊急留任というのも1つの選択肢だろう。

先週あたりから連日報道されてきた日銀総裁「チキンレース」も、いつのまにかマスコミは自民党の味方になってしまった。民主党の悪い癖は、世論の動向を左右する、ちょっとしたタイミングをいつも逸していることじゃないだろうか。さてこれから福井総裁の期限が切れる1週間、自民、民主のパフォーマンスと海外メディアの批評ぶりに注目だ。

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日本の痛み Japain (Economist誌)

英国雑誌Ecomomist の最新号で日本の特集が組まれている。表紙には「Japan」という文字に毛筆で「i」と書き込まれ、「Japain」と書かれていて、その下にはWhy you should be worried about the world's second-biggest economy と書かれている。

Economistといえば非常にストレートかつ論理的な文章が多くて面白い。去年だったか、「ベルギーは国としていらない(無政府状態だったので)」みたいな記事を堂々と載せていたし、日本についても鋭くて、安部政権誕生時(まだ人気のあった頃)に、「短期政権に終わるだろう」と指摘していた。

今回の記事の概要は次のような感じ。日本の政治を問題にしている。

1.日本のバブル崩壊は現在の米国にとって参考になるか?

・日本の不動産と株式のバブルは1990年に崩壊し、その不良債権はGDPの5分の1もの大きさだった。回復には12年もかかり、2005年にようやく金融不安と資産デフレは終結した。それでも現在日本のGDPは下がったままであり、機会損失は大きい。

・今の米国のバブル崩壊も、金融危機が実体経済を脅かしている点では共通しているが、相違点の方が多い。日本のバブル崩壊の方がはるかに規模が大きかったし、しかも日本は未だにその根底にある問題を解決しようとしていないのだ。

2.日本のバブル崩壊後の対応

・米国政府は今、金融政策と財政出動で積極的に危機に対応しようとしている。金融機関も積極的に損失を公表しようとしている。一方日本は市場に嘘をつき続け、政府もこれに加担した。

・本当に必要なのは資本市場の開放だ。外資規制を撤廃し、労働市場を開放して海外の投資家にとって魅力的な環境を作る必要がある。

・しかし日本企業の生産性は低く、投資効率は米国の半分。消費は縮小したままだ。こうした中、問題を先送りにしているのは日本の政治家であり、官僚システムである。日本の官僚は個人株主をバカ呼ばわりし、日本の古い企業を海外の投資家から守るための制度改正に必死だ。

3.日本の政治の現状

・自民党は小泉首相が進めた改革をあきらめ、むしろ逆行している。派閥、官僚、建設業者や農業団体の影響力が強くなっている。現在の低迷の責任は福田首相にある。白髪層が公共事業などの既得権の維持を要求しているが、彼はそれを抑えられない。

・一方民主党も状況は同じで、かつては改革派とみられていた小沢代表も今では古いタイプの自民党のボスのようだ。彼がもう1人の責任者である。彼の言動は民主党の改革勢力としてのイメージを台無しにしてしまった。ただし実質的な権限は鳩山氏に移っており、次の選挙までに民主党が体制を一新できるかが鍵である。

・さらに悪いことに、昨年民主党が参議院の多数を奪取した。憲法は参議院と衆議院が同時に違う政党に支配される事態を想定しておらず、野党は事実上あらゆる政府の方針を妨害することが可能になっている。

・実際、昨年9月に就任した福田首相は、最初の4ヶ月をインド洋で活動する1艘の給油艦に再度給油活動を認めさせる戦いに費やした。現在は4月から始まる来年度予算を通過させることと、3月19日に就任する日銀総裁指名で手一杯である。

4.今後の政治オプション

(1)再度自民と民主で大連立を組む。これだと日本は一党支配時代に逆戻りとなる。

(2)総選挙を行う。ここで唯一の希望は、超党派で結成した政治団体「せんたく」だ。彼らは地方分権化を望んでおり、選挙の際には使われない高速道路、渡れない橋を作るというような間違った政治家に惑わされたない人々に訴えようとしている。

次の総選挙でどこが勝っても、混沌状態は深まると言う人もいる。しかし国民には選択をする権利が与えられなければならない。たとえ選択の結果がさらなる混乱を招いたとしても、今のように何となく安定したまま没落していくよりも、問題が表面化した方がましだ。

→以上が記事の概要だ。

1.海外メディアでは、小泉改革を高く評価していることが多い。日本で彼は郵政民営化などで人気を集めたが、海外メディアのいうところの「改革」は別の点にある。それは関税引き下げであり、産業別優遇税制の廃止であり、外国企業への税制緩和であり・・・つまりは市場原理の導入だ。これは小泉首相というよりも竹中大臣が財政諮問会議の成果である。ただその竹中氏は、国内では「日本を外国に売り渡した」というように評価されているような気がする。同じ「小泉改革への高評価」といっても、国内では「郵政民営化などなんとなくいつも改革しようとしていた」姿勢への評価であり、一方海外では竹中氏に指示を出して市場開放に努めた、と言う意味での評価である。海外での小泉評にピンとこないのはそのギャップがあるせいだろう。

2.今の日本の現状を招いた要因として、もちろん政治の問題は大きいと思うが、それを伝えないマスコミの問題も日本では大きいと思う。あまり意識しないがこのブログでも何度も書いているけど。国内メディアよりも海外メディアの方が客観的に正確に現状をまとめていると思うが、多くの日本人はこうした情報から隔離されているのだ。Economistにはその点も指摘してほしかったが、同業者への遠慮だろうか??

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携帯電話

そろそろ今使っている携帯電話も2年になったので、新しい機種にしようかな、と思って携帯売場を真剣に覗いてみた。

家電量販店の携帯売場に行くと、ドコモのコーナーに人だかりが。最近ニュースではソフトバンクへの移行が圧倒的でドコモは流出が続いているとあったが、ちょうど春モデルの発売時期のせいか、ずいぶん人が多かった。ソフトバンクはあまりいなかったかな。auは全くいなかった。

自分はauなんだけど、しばらく見ないうちに料金体系はすっかり変わってしまい、もう訳がわからない。一方で電話機本体はそんなに進化はしていない印象だ。

1.携帯電話機本体

(1)基本機能

携帯で完全に定着した機能というと、①電話=当たり前か。 ②メール ③インターネット あたりだろうか。意外なところでは ④時計 かもしれない。

その他の機能は、新機能として追加されてはあまり定着せずにまた次の機能に移る、という繰り返しのように思う。

(2)プラスαの機能

①ゲーム:これは任天堂DSのような専門機にはやはりかなわない。電車でおじさんが単純なゲームをやっていたりするが、当初狙っていたような若者への拡がりは見られない。

②カメラ:一時は高画素数化を競っていたが、デジカメの高画素数化と比較すると早くも天井のようだ。最近は新機種でも200~300万画素が普通のようだ。まあ携帯で撮った写真は携帯でしか見ないということか。

③地図・ナビ:これも一時はいろいろなサービスがあったが、最近の携帯ではそれほど重視されていないように思う。これは代替品がないし、便利だと思うけどなあ。

④ミュージック・プレイヤー:auが先行して力を入れたが、やはりi-podにはかなわない。i-phoneが出たら状況は一変するのかな。

⑤おさいふケータイ:クレジットカード会社も注目して参入したのが携帯を使った少額決済機能だ。でもそれほど使っているシーンは見かけない。日本人が少額決済にクレジットカードを使わないのは、手間がかかるというよりは現金決済をしたいからだと思うので、あまり広まらないのは当然だと思う。

そして最近各社が力を入れている機能は

⑥TV:やはり日本人はTV好きということか。朝の電車でワイドショーを見ている会社員が増えてきた。

⑦PC機能、PDA機能:各社模索しているのがPC化だ。ソフトバンクから今度横開きの「インターネット携帯」が出るが(孫さんの提案によるデザインとのこと)、今後PCの機能をいかに携帯に移行していくかは1つの方向だろう。Brackberryのような形に進んでいくのだろうか。

こうした状況で今後の方向性はこのような感じだろう。

A: さらに新たな機能の模索: これはちょっと見当がつかない。もう出尽くした感があり、想像できるのはPC化くらい。

B: 今あるプラスα機能の高性能化: まずはTVの高画質化競争かな。

C: 基本性能の強化: 新機能、高性能化は一段落させて、軽量、薄型、小型、長時間バッテリーなどといった基本性能を強化する方向もあるだろう。最近やたらと薄い携帯が増えたように。

2.サービス面

携帯電話本体の方向性はまあわかりやすいが、一方でさっぱりわからないのが料金体系だ。携帯の料金というと、ソフトバンクが次々と低料金プランを打ち出して新規顧客を獲得しているが、携帯の料金は3つにわけられる。

①通話料金: 同一キャリア同士は通話料無料、親子は無料、みたいにここにフォーカスして競争が展開されている。

②データ料金: メール代金は通話料金同様、様々なプランで低価格競争が進んでいるが、ウェブなどのパケット料金はあまり低価格化は進んでいない。ここは利益を確保する源泉なのだろう。

③電話機本体: 最近大きく変わったのがここだ。ここを計算に入れないといったいどこの会社が安いのか、比較もできない。

そして携帯料金をわかりにくくしているのは、このそれぞれについて ①通話料=定額料金を越える部分はいくらになるのか? ②データ料金=ウェブのパケットはどれ位使ったらいくらになるのか? ③電話機本体=要するに結局いくらなのか? というようにユーザーから見えにくい部分があるからだろう。

ユーザーが携帯キャリアを選ぶにあたっては、自分の使い方から考えるとどのような組み合わせが得なのかを考えるとともに、月々の支払いを抑えるのか、トータルコストを抑えるのか、最初の出費を抑えるのかを選択する必要がある。

A: ドコモ: 電話機本体の価格は最新機種で5万円、2年分割にすると月々2100円くらいだ。パケットの料金は比較的お得なので、パケットをたくさん使う人には良いのかな。

B: au: 電話機本体の価格は最新機種で4万円くらい。従来通りここから割引があって、店頭価格は2万円くらいだろうか。電話機本体は安いので、高性能の電話機を使いたい人には良いかもしれない。もっともメーカーからの納入価格は3キャリアの中で一番安いという記事を読んだことがあるが、今ひとつ魅力のある電話機がないのはそのせいかもしれない。

C: ソフトバンク: 電話機本体は8万円くらい。ただしこれを分割にして、月々2000円の「割引(あくまで通話料の割引で、本体の奨励金ではない?)」があるので、2年分割で月々1200円くらい。ソフトバンクといえば何といってもホワイトプラン=980円と、ソフトバンク同士は1時~21時まで通話無料、メールはいつでも無料、という低価格で人気だ。ただ、他キャリアへの通話は結構高い。あとパケット料金も決して安くない。従って、自分の使い方は無料の範囲内にどれだけ収まり、どれくらい基本料から飛び出るのかを事前にシミュレーションした方が良い。

自分の場合はauからソフトバンクに乗り換えようかな、と思って店を覗いてみたのだが、ソフトバンク=低料金とは一概にいえないということだ。まず基本料金をどのプランにするか。次にそこから自分の使い方だといくら飛び出るのか、次にパケット料金はいくらくらいになるのか。最後に本体価格の月割り部分をたして、トータルとしていくらになりそうなのかを考えなければならない。

そういえば、ソフトバンクの料金プランは、ホワイトプランの他にゴールドプラン、ブループラン、オレンジプランとあるけど、なぜこれらの色が選ばれて、いったい何が違うのか不思議に思っていたら、ブループランは対ドコモ、オレンジプランは対auを狙った(似ているけどちょっと得)プランだそうだ。なるほど、ドコモは青でauはオレンジだけど、ストレートだなー。

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