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2008年1月

ホワイトカラーの生産性

日本人は勤勉だ。2,3年前まで自分もそう思ってきたが、どうやらこれは日本人が自分でそう思っているだけのようで、海外と比較すると別にそうでもないようだ。

近年ホワイトカラーの生産性が低い、ということが言われる。残業代をなくす、「ホワイトカラーエグゼンプション」も、経団連(もっというとトヨタとキャノン)が進めようとしたがあっさり世論の反対にあって引っ込めた。それ以降あまりこの件には触れられなくなったかな。

トリンプ元社長の吉越浩一郎さんが最近退職して会社を作ったせいか、次々と本を出している。この会社は強制的に残業を禁止したり、午後一定時間は電話や会話を禁止して自分の仕事に集中する時間を作ったり、かなりユニークなことをやった人だ。本はというと、まだ雑誌の記事の延長の感覚なせいか、今ひとつの感じがするが、言っていることはけっこううなづけることが多い。日本人の残業に対する意識もそのひとつだ。

話はタイトルに戻って、労働生産性。つまり仕事に対するアウトプット÷インプット。ここでアウトプットに関しては、仕事の質とか量のアウトプットは個人や組織のレベルに大きく依存するのでここでは考えない。一方インプットについては日本人の特徴が大きく表れていると思う。

問題点: 日本人は同じアウトプットに対して時間をかけすぎる。

これを読んで別にいいじゃないか、と思った皆さん。そう、プロフェッショナルなら時間をかけてでも良い仕事をすべきと思っているんでしょう。でも自分の経験から考えてみると、一定以上の時間をいくらかけても質は上がらないんじゃないだろうか。ということは、仕事に無駄な時間をずいぶん費やしているのかもしれない。

原因1: 時間の投資に対する無意識

毎日残業だー、21時前に帰ったことなんてないー、という人。原因は簡単。仕事が多くても少なくても帰る時間は21時なんじゃないだろうか。最初からゴールは21時であり、そうなると人間は弱いもので、面倒な仕事は後に回す。夕方から仕方なくそれにとりかかり、19時を超えてきてオフィスがいつものメンバーになってくると、ダーっとやっつけ仕事でかたづける。これがもし18時でオフィスから締め出されると(トリンプのように)、毎日家に帰って3時間くらい残業をするのだろうか?たぶんしなくなるだろう。その分朝からフルパワーで、働くようになるんじゃないだろうか。やはり時間は有限だということをもっと意識すべきだ。

原因2: 長時間労働に対する美意識

同級生と会ったとき、自分はいつも定時に帰ると胸を張って言う人がいるだろうか。「いやーつまらない仕事だけど、誰もやる人がいないから自分がやらなくちゃなんなくて、毎日遅いよ」と満更でもなさそうに話したことはないか?日本人は会社への帰属意識が高く(依存心にもなりかねないが)、しかも労働は美徳という昔からの教えもあって、心のどこかで自分が仕事に多くの時間を費やしていることに喜びを感じているのではないだろうか。逆に早く帰るときは「すいませんが、お先に・・・」と謝ってしまう。この点、外国人は「え、まだ仕事終わっていないのか?」という顔をして帰っていく。これは大きな意識の差だ。

いずれにしても根は深い問題だが、明日から自分ひとりでできる解決策は何だろう?

解決策1: スピードをあげる

日本人の会社員に足りないのは時間ではなく、スピードだ。とはいえ、毎日21時まで働く人に、急にこれから毎日18時に帰るように言っても無理だろう。じゃあ、毎日昼間に10分でやっていることを7分で終わらせるように言ったらどうだろう。10分の電話を7分で済ませる。10分の話し合いを7分で切り上げる。10分かかっているメールを7分で送信する。それを積み重ねると全ての仕事を70%の時間で済ませることは十分可能じゃないだろうか。ただし毎日18時には頭がくらくらでクタクタになると思うけど。

さらにいうと、上で書いたように、そうやってやった仕事の質は、ゆっくりやった時とそんなに変わらないんじゃないだろうか。むしろアドレナリンが出ている分、ミスも少ないくらいかも。

ここでスピードを上げるといっても早口で話すとか、エクセルの手を動かすのが異常に早いとか、そんなことではなく、判断を速くすることが必要なんだと思う。判断して、手を動かして、できたと思ったら早く手離す。これをぐずぐずやっているから時間がかかるのだろう。

解決策2: 早く会社を出るためのモチベーションを作る

早く会社を出て、じゃあ何をするのか?何のために定時に帰らなければならないのか?何でもいいけど、会社と離れて平日にやるべきことがなければならない。でも日本人は平日は会社、土日は非会社(笑)という人が多い。どうしてだろう?

日本人は仕事は人生の一部と考える。最近ワークライフバランスという言葉がよく使われるが、ライフの中にワークがあって、そのバランス、というイメージか。これに対して欧米人は仕事は人生と別のものと考える。ワークライフバランス=全く別のものである仕事と私生活のバランス、だ。自分の元上司の外国人は、仕事はしょせんゲームだと言っていた。ゲームといっても遊びではなく、真剣勝負のゲームだ。もちろん人生を賭けるものではない、と。この話を一般的日本人の上司にしたときに「仕事をなめている」と言っていたのだが、客観的に見て「ゲーム」をしている外国人の方が、数段真剣に仕事に取り組んでいた・・・。

こういった深層心理というか、文化的背景があるので、日本人が早く会社を出て何かをしたい、というモチベーションを持つのはなかなか難しいと思う。まあ遊びに行くでも勉強するでも子供と遊ぶでも、何でもいいから平日、仕事以外に何か一生懸命になれるものを探したほうがいい。

解決策3: 会社も早く帰るインセンティブを与えるべき

最近どこの会社でも残業を減らそうとしている。ワークライフバランス・・・という便利な言葉ができたけど、要するに人件費削減だ。ただ削減というと減らすみたいだが、日本ではもともと労働に対してではなく、労働時間に対して賃金を支払ってきたものを、本来あるべき形に戻しているだけだと思う。残業を減らしたら心身ともに健康にいいと言われても、給料が減ってしまっては反発を受けるだけだ。上に書いたような意識改革をきちんとした上で、「ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入するのは賛成だ。

最後にもうひとつ。外国の会社で、上司が部下に対して残業をするな、というのは筋が通っている。というのはポジションが上がれば上がるほど何でも知っていなければならないし、自分で仕事をするからだ。だから部下は納得する。例をあげると、自分の知っているグローバル企業のエグゼクティブは、夜どんな時間にCEOから電話がかかってきてもすぐに答えられるよう、枕元に自社製品のプロファイルを全て置いて寝ていると言っていた。そんな日本人の話は聞いたことがない。逆に日本の会社だと一番仕事を知っているのは担当者であり、そんな状況で上司が「じゃああとは明日の朝までに資料よろしく!でも残業はしないように」と言っても、部下は納得しないだろう。

うーん、会社全体でホワイトカラーの生産性をアップするというのは、非常に難しそうだ。でも自分の生産性だけはアップできるよう、毎日気をつけてみることにしよう。

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不安は頭の中にあり、不安という現実はない

野茂英雄がメジャーにわたった年。彼がマウンドに上がる前、必ず読んでいた本がある。

自分はこれからどうなってしまうんだろう、そんな不安と独りで戦いながら毎回読んでいた一文。今からもう10年以上前になるだろうか、その話を新聞で読んで買ってみた。それから今まで、新しいことに立ち向かうたびにこの本を読んだし、周りにそういう人がいたら、この文を教えてあげたっけ。

今日この本を思い出すことがあったので、久しぶりに引っ張り出してみた。

「不安と恐怖をいだくとき」

(一部抜粋)

人間は考えることができます。過去を想い、未来を想うことのできる力を与えられています。それが創造力や洞察力につながります。

しかし、その力が私たちに不安・心配・怯え・恐怖をもたらしています。過去へのこだわりと未来への危惧となるのです。

だから、どんな人にも不安は胚胎するということです。どんな人もそれと向かい合っているのです。そのことを念じて、まず不安と恐れの迷路を絶つことに集中しましょう。

想念のから回りではなく、「今」を生きることに戻ってくること。現在にしっかりと立つこと。過去にとらわれず未来を思い煩うことなく、具体的に現実に取り組むのです。

今できること、今すべきことに心を尽くすこと。目的を思い出すこと。

何を一番大切にしたいのか。頭の中にとどめずに実際に紙の上に書き出してみましょう。そして、背負うべき不安は、恐れてばかりいないで背負ってみるべきです。

不安と恐れの中に飛び込んでみるなら、そこには、ただ「生きる」ことがある!不安を正直に背負って、その重みのゆえに、大切なものを一瞬一瞬選び取るのです。

不安があるということは大切にしたいものがあるということ。不安によってそれを一層確かめること。

「不安」は頭の中にあり

「不安」という現実はない。

あるのは生きる現場。

あるときは、待つこと。

あるときは、退くこと。

あるときは、突入し、関わっていくこと。

ただ心を尽くして生きるだけ。

今日のいのちは今日のもの。

このことを念じて、勇気を出して不安と向かい合ってください。あなたが想像で恐れていたよりも、ずっと小さな事態かもしれない。あなたが考えていたよりも、厳しい事態かもしれない。いずれにしても、空想の不安の虜になるよりは実り多き時なのです。

(「祈りのみち」 高橋佳子)

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首相と女将の記者会見

昨日、興味深い記者会見のニュースが2件あった。

1.福田首相:世界同時株安に関し、日本の対応を問われて:

「現状を冷静に把握することが大切だ。他のアジアの国も大幅に下げている。気がかりだが大元は米国の問題。米国の対応についてどのように(マーケットが)受け止めているかの表れだろう。」

日本のことを聞かれているのに、全く答えになっていない。米国が株安に連鎖して(かどうかはわからないが)日本の株安について聞かれているのに・・・。「どう考えるか?」「冷静に考えるのが大切」では会話になっていない。後半部分も当たり前の話なので、何を聞かれてもこのように答えるように事務方から言われているのだろう。

昨日は日本のマーケットは3.9%ダウン、年初から2000円のダウンになるが、あくまでこれが日本の経済情勢と関係なく、米国の景気の影響を受けているのであれば、その旨を強いメッセージとして発信するのが政府の役割ではないだろうか?ニュースでは株価下支えのためにゆうちょ、かんぽのPKO(Price Keeping Operation)が行われているのではないか、とも伝えられている。つまり国民から集めた金で株を買い、株価を上げているということだ。もしそうだとすると、もうこの2社は民営化した1事業体なのだから、10年前のように政府の意思で自由に運用することはできないんじゃないだろうか。そのような小手先のオペレーションではなく、もう少し大きな視点、メッセージを政府には発信してほしい。

それにしても心配なのは福田首相のコメントだ。もうやけくそか?

2.船場吉兆の女将:新社長就任にあたって:

「船場吉兆の火を消したくなかった。頑張っているので応援してください、と父に手を合わせている」

以前問題になったときの記者会見で、長男の取締役に隣からごちゃごちゃ言っていたあの人だ。「父に申し訳ない」と涙を流していたが、この人の頭の中は父しかいないのだろう。謝るべきは信頼を裏切られたお客さんなのに。

そして昨日の記者会見。会見の冒頭には、もちろん一連の問題への謝罪があったが、やはり彼女が関心を持っているのは、船場吉兆の「火」。そして「父」。あいかわらずお客さんのことは2の次のようだ。こうした人がトップにいる以上、船場吉兆は何もかわらないだろう。

ということで記者会見2件。メッセージというのは本当に大切だし、記者会見は後から訂正が効かない分、よーく考えて対処しなければならない。

ところで余談だが、ここのところ自分の書いたブログの記事が、2件たてつづけに半分から後ろがなぜか消えてしまっている、ということが起きた。1件はまあいいか、と思って削除したけど、同じようなことが続いたので2件目は書き足して再アップしてみた。まあ何かの不具合なんだろうけど、2件とも某T社のことを書いたものだったのは、偶然の出来事なんだろう・・・

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パンデミック・インフルエンザ

先週の土・日と2夜連続で、NHK特集として「パンデミック・インフルエンザ」の特集があった。今の鳥インフルエンザを発端として新型のインフルエンザウイルスが発生した場合の恐怖についてまとめた内容だ。NHKいわく、パンデミック・フルが発生するのはもはや時間の問題で、これが日本に伝わると死者が200万人、世界で1億人に達するという予測もある、ということらしい。

うーん、なぜ今さら新型インフルエンザの話なんだろう??というのはこの恐怖は数年前から騒がれており、政府がタミフルの備蓄を進めていることでも知られている。(効くか効かないかはわからないが・・・)

今アジアでニュースになっている鳥インフルエンザは鳥から人への感染であり、人から人への感染は極めて稀(12月に中国で1例、疑いのあるケースが出た)だ。これが突然変異をして人から人へ流行可能な形に変化するのかどうか、世界的には議論が分かれている。もっというと、昨年あたりからこの可能性は低いのではないか、という指摘が増えている。例えばMITは人に容易に感染しない理由を説明しているし、オーストラリアのOIE(国際獣疫事務局長)は、鳥インフルエンザの危険性は過剰に評価されていると、パンデミック・フルの騒動を批判している。

また12月21日のWall street journalも、パンデミック・フルの恐怖は既に下火になっており、タミフルの発売元であるロシュは政府備蓄向けの出荷が前年比半減し、在庫を抱えている、と記事にしている。

こうした中、なぜ日本はいまさらパンデミックに対する不安感を持たせる番組を国営放送に放送させたのか?番組を見る限りその意図はよくわからない。

1.政府備蓄の正当性を説明するため?

日本は2500万人分の抗インフルエンザ薬を備蓄している。この正当性を説明する前フリとしてこの番組を放送したのか?もしくは今後のパンデミック・フルワクチンの備蓄に向けて世論の理解を得るためだろうか?

2.米国からもっと備蓄するよう何らかの力が働いたのか?

タミフルが売れると誰が得をするのか?ロシュ?それはもちろんだが、ここで必ず名前が出るのが米国のラムズフェルド元国防長官だ。タミフルはもともとギリアド・サイエンシズという会社が開発した製品で、今でもロイヤリティが支払われている。そのギリアド社で1997年から2001年の間に会長を務めたのがラムズフェルド氏であり、現在もなお重要な株主である。ここ数年のパンデミック騒動で一番得をしたのは彼であり、もしかすると不安を必要以上にあおった自作自演の騒動なのでは、という批判もされている。

3.タミフルの副作用(異常行動)に対する批判を弱めるためか?

昨年来、タミフルに服用後の異常行動が報道され、その安全性が議論を呼んでいる。今のところはインフルエンザの症状の1つであり、薬との因果関係は不明、ということになっているが、様々な報道がタミフル=悪い薬という誤ったイメージを植えつけてしまっている。これからインフルエンザの本格的な流行シーズンを迎えるにあたり、タミフルの位置づけを改めさせるためなのか?

ということでこの件は全く見当がつかないので、書いてみても自分でもさっぱりわからない。あえていえば1番かな??いずれにしても確かなのはNHKがこの時期にこのような番組を2日がかりで放送したからには、何らかの意図があるんだろう、ということだけだ。

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勝間和代さんのセミナー:効率が10倍アップする新・知的生産術

今日は経済評論家の勝間和代さんのセミナーに行ってみた。昨年「無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法」を皮切りに立て続けにベストセラーを出している方だ。きっかけはこの本をふと買ったこと。別に年収を10倍にしたかったわけではなく(なればいいが)、以前英語の勉強法のサイトを興味深く読んでいたので、おや?あの勝間さんが独立して本を書き始めたんだ、と思って軽い気持ちで買っただけだ。

書いてあることはシンプルで、勉強を続けるような仕組みをつくること、そのためには必要な投資は惜しまないこと、ということだ。それからというもの、別にこの本に書いてあることを実践するつもりでもなかったのに、Let's noteを買い、Mind Managerをインストールし、このブログを書き始め、以前にも増してTVを見なくなった(笑=わからない人は本を買ってみましょう)。

その後の本も買って読んだが、勝間さんの発想の根底にあるのは、まず無駄なことに時間を浪費しないこと。そうしてできた時間を自分が価値を生むことのできることに集中して投資すること。そしてこのサイクルをうまくまわすために必要な投資は惜しまないこと、だ。

そして、今日ライブで話を聴いて感じたことをまとめると

1.効率をあげる=まず Not to do listを作るという発想はやはり面白い

時間投資法の本に書いてあったんだっけ?これは読んだときに目からうろこが落ちた。自分は生産性を上げるために、いかにいまやっていることを速く、うまくやるか、という発想だったのだが、無駄なことをやめる、という視点はなかった。そういえばそうだ。ビジネススクールでも「戦略とは何をやるかを決めるのではなく、何をやらないかを決めることだ」と叩き込まれたじゃないか・・・自分はその日からTVをほとんど見なくなったが、今日話を聞いてみて改めて盲点だったな、と思った。

2.効率を追求しているのはポイントを絞って圧倒的な投入をするため

本を読んだ印象として、勝間さんは全てにおいて効率重視、というか、できるだけ少ないインプットで大きなリターンを、という発想なのかな、と思っていたが、ここというところには一般の人の数倍の努力を投入している。そう、圧倒的な努力によるインプット量で差をつけているのだ。そこには才能とか勘は関係ない。やるかやらないかの差だけだ。これは新たな気づきだった。

3.良いループは複利でかえってくる

良いことが生まれるとつぎつぎと連鎖する。逆にネガティブな思考は次々と悪いことを引き起こす。確かに自分の周囲の人のことを考えてみると、人間にはポジティブな人とネガティブな人の2種類しかいないような気がする。ポジティブな人は全てにおいてポジティブだよなあ。勝間さんがマッキンゼー時代に、仏教の教えにある3毒の排除、つまり「妬まない、怒らない、愚痴らない」を紙に書いて机に貼ってから良い事が連鎖したという話があった。自分もそういえば上司に薦められて「怒らないこと」という仏教者の本を読んだことがある。自分はあまり怒らない方だと思うけど、それでもそんなことができるのは世俗を捨てた仏教徒だからできるというだけじゃないか、と思っていた。今日勝間さんは、3毒を捨てることはネガティブな考え方を捨てるということで、この3つを意識するといやでも考え方がポジティブになって良い影響を生み出すんじゃないか、と言っていた。うーん1本取られた。

4.バランスのとれた人だった

ずっと疑問だったのは、ここまで自分に対してストイックな生活をしていてストレスではないのか、ということ。人間はどこかでバランスをとって成立している(犯罪者がたいてい「あんなまじめな人がこんなことをするなんて・・」と言われるように)と思うので、その点いつも不思議だった。今日思ったのは、自分がどのように合理的な選択、意思決定をするのか、それを探求したり考えたりするのが単純に楽しいんだろう、ということだ。「自分がどうしてこれこれをしようと決めたのか」を語るときは笑顔で早口だったし。勝間さんの中で例えばアカデミックな研究vs本を1冊でも多く売るにはどうしたらいいか考える、リアルの人付き合いは重視しないvsネット上での関わり合いは誠意を尽くす、みたいにたくさんの軸でバランスを取っている。そんな印象を受けた。

一方、後から考えるとつっこんでみたかった点も。

1.本を出す目的は本当は何なのか?

勝間さんは自分の本の中でも、また今日の話の中でも、本の重要性、偉大さについて語っている。一方で、自分の出す本はいかに売れる本にするかを徹底的に考えている。タイトルとか、装丁とか。せっかく内容が良いのにタイトルで軽く見られて損をしているように思うこともある。勝間さんの考える自分の本に対するポリシーというのは何なんだろうか?本当に心から書きたい本はどういう本なんだろうか?

2.人から嫌われることを気にしない、と言っていたけど・・・

自分のまわりにも何人かこういう人がいるが、公言する人は皆「自分のやり方では嫌う人がいても仕方ないと諦めてはいるが、本当は自分がどう思われているのかすごーく気にする」人達だ。違うかな?ちなみに自分は人からどう思われるかは気にしないけど、できれば嫌われたくないかな。小さいなあ。

ということで、本で既に読んでいたような内容でも新たな発見もあり、また強く印象に残るセミナーだった。その証拠にこうして会場近くのスタバでこのブログにまとめている。勝間さーん、今日の宿題はこんなところでいかがでしょう!?(笑)

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生命保険の営業が固定給に

明治安田生命が、営業職全員(3万人!!)の固定給比率を高めるというニュースがあった。入社5年目までは月1件、6年以上はつき2件程度のノルマをクリアすれば、固定給が従来の7万円から17万円に増える(現在は17万かせぐのに月3、4件必要)というものだ。日本の生保の営業というのは戦後の戦争未亡人の雇用口に始まった独特なものだが、今は新入社員の大半が入社2、3年でその厳しさから退職していくそうだ。これに対し、収入を安定させて離職率を低下させ、1年目の在籍率を70%程度まで高めることが目的だ。それでも30%は辞めるのか・・・。

ここまでが明治安田の発表だが、単に人手が足りないということに加えて次のような目的があるかもしれない。

1.対外資系生保に対する戦略

日系と外資の大きな違いは、日系はとにかく新規顧客の獲得を第一目標とするのに対し、外資は既存顧客にどんどん特約をつけて売上を増やしていくのをメインにしている、ということがあるだろう。外資はさらっと安い商品から契約できるが、その後次々と追加の契約の案内が来る(いわゆるアウトバウンド)。これに対抗するためには、日系も従来のようにどんどん紹介してもらって新規客を増やしていくスタイルから、アフターサービス重視のスタイルに転換していく必要があるのだろう。

2.対銀行に対する戦略

銀行窓口での生命保険販売が解禁されたが、これは想像だけど生保の営業員よりも銀行員の方が商品説明をきっちりできるのではないだろうか。信頼度も高いだろうし。

ということで、このニュースは今後業界他社に波及するものと思われるが、ここでいくつかこのニュースから読み取れる問題をまとめてみる。

1.生命保険自体の問題

日本は全世帯の93%が何らかの生保に加入している。その商品バラエティも増えてきており、低金利の時代にあってはもはや投資の一種ともいえる。しかし、生命保険に加入するのはいったいどうしてか?自分が死んだら家族が・・・とはいえ、そのお金を貯蓄するか運用するか、はたまた自分に投資して収入を増やすか、いずれにしても収入を増やして貯蓄でまかなうことだってできるじゃないか。または公的保障でカバーできるかもしれないし、安価な損害保険で十分かもしれない。しかし昔生保の営業員から言われたのは、だいたいは今入らないとどんどん保険料が高くなる、という説明だ。あとはだれだれさんが入っているとか、野球のチケットをあげるとか、飲み会をセッティングしてあげる、とか。ひどい人になると「入るかどうか迷う意味がわからない。入らない理由は何?」と言うおばさんもいた。まあ大半の人は何の疑いもなく何となく入っているんでしょう。

2.生命保険会社の問題

なぜ今回明治安田が先頭を切ったのか?おそらく2005年の明治安田の保険不払い問題がきっかけだろう。これは簡単に言ってしまうと「加入するときは病歴を隠させて加入させる。支払うときは病歴の告知義務違反だといいがかりをつけて保険金を支払わない」ということだ。この問題に端を発して、昨年金融庁は全生保会社38社に過去5年間の不正調査を命じたところ、1社を除く37社に不正がみられ、その件数は合計44万件、不払い金額は360億円にのぼり、やはりダントツで不払いが多かったのが明治安田である。

これを是正するため、つまり目先の契約を不正をしてでもとりにいく姿勢にブレーキをかけるための方針転換なのだろう。しかしこれは効果をあげるのだろうか?それは疑問だ。

ポイントは生保独特の企業形態である「相互会社」にあると思う。生保というのはもともとは株式会社だったが、戦後に生保にのみ許された「相互会社」へと転換した。これは保険の加入者が「社員」であり、営利追求を目的としない、相互互助のための「非営利社団法人」である。本来は加入者による「社員総会」が開かれ、会社のことが決められることになっているが、人数も多く煩雑なことから、加入者から選ばれた「総代」が集まって「総代会」を開催することでこれにかえて良いことになっている。

しかしこの「総代」を選んでいるのは生保自身である。取引会社の役員とか、地元の名士とかその夫人とか。実のない「名誉職」になっているのだ。従って生命保険会社には外部からのチェック機能は全く働かない。こんな状況で、従来の厳しい営業スタイルがそう簡単に変わるとはどうも思えない。

ちなみに相互会社から株式会社への転換は95年にようやく可能になり(その逆は以前からできたのに・・・)、経営基盤の安定とガバナンス強化を目的に大同生命、三井生命などが株式会社化している。

3.営業と報酬体系の問題

もうひとつ、生保とはなれて営業職と考えたときに、報酬は固定給が良いのか歩合制が良いのか、という問題がある。今回は歩合制のデメリット・固定給のメリットだけが強調されているが、今回の方針転換で本当に優秀な営業はより稼げる会社、業種に移動していくのではないか。歩合制のメリットである評価の公平性、低業績者の異動が比較的容易であるといった点は何も否定することはなく、営業職員の選択制にすれば良かったのではないだろうか(固定給中心の給与体系と業績給中心の給与体系の選択制)。いずれにしても会社が考えるモデル的な営業職員が高収入を得られるよう、報酬制度は設計しなければならない。

さて他社はどうでるかな。そういえば、生保の営業はGNPと言われているそうだ。G=義理、N=人情、P=プレゼント。なるほど。

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トヨタ過労死問題のその後・豊田労基署は司法に挑むのか?

以前書いた、トヨタの過労死問題。9日の朝日のウェブサイトに小さくニュースがあったので、削除される前にまとめておきます。(苦笑)

その内容は遺族が舛添厚生労働省大臣と面会し、夫の死を労災と認めた判決に基づき、判決で認定された時間外労働の時間数に見合った遺族年金を支払うよう求めた、というものだ。

どういうことかと思ったら、例の豊田労働基準監督署が、労災保険から支給される遺族年金の計算にあたり、倒れる直前1ヶ月の時間外労働を、判決が認めた106時間45分ではなく、当初労働基準監督署が認定した45時間35分をもとに計算しているというのだ。彼らの言い分は「トヨタが106時間45分の残業を認めて残業代を支払わない限り、年金には反映できない」としているとのことである。

まずこの裁判は国と遺族の裁判であり、トヨタは関係ない。そして名古屋地裁がこの106時間45分の残業時間を認定し、それにより過労死したと判決を下し、国も控訴しなかった。それがなぜ時計の針を巻き戻して、判決が下る前にトヨタが主張していた時間に基づくと言うんだろうか?誰か教えてくださーい。

そしてこの記事もニュースとして大きく報道されることはないのでしょう。次の日確認すると、朝刊で報道していたのは毎日新聞、そして日経新聞の名古屋版(全国版ではない)のみでした・・・・

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試される大地? 北海道

実家が北海道なので、ただいま帰省の真最中。北海道に来るとペースが元来生まれ持ったものに戻るせいか、頭も体も弛緩する感じがする。いつも何かに追いかけられているような毎日(というより半分くらいは自分で自分を追い込んでいる気もするが)なので、年に数回の帰省は本当にいいリフレッシュになる。

じゃ、ずっと住んで暮らせばいいんじゃないか、という気がするが、そういう気にもなれないのが不思議だ。以前は都会の便利さ、刺激に慣れてしまったせいだ、と思っていたけど、どうもそれだけではないようだ。それは北海道に対する違和感といらだちのせいかもしれない。

北海道に戻ると、地方はどこでも同じかもしれないが、無駄なインフラへの公共投資が目に付く。実家の目の前に、昔から小さな小さな川が流れているのだが、25年くらい前に大規模な護岸工事をして、今ではコンクリートに覆われた幅広のスペースにちょろちょろと水が流れているだけだ。北海道にはこうしたコンクリート川がずいぶん増えた。大雨で氾濫することを防ぐ治水対策だろうが、そんな氾濫するような大雨は来るのかどうかもわからないし、仮にそうなったとしても北海道の家は雪対策で造りが頑丈だから、被害は最小限だろう。

また、実家の近くにはここ数年新しい大型道路がどんどんできている。混雑の緩和というが、札幌市内の混雑なんてたかがしれているじゃないか・・・。あとJRによる南北の分断を解消するため鉄道をまたいだ道路を作っているが、10分に1本くらいしか電車は通らない。あとすごいのは、やはり25年くらい前にJRによる分断を解消するために鉄道を高架化したのだが、それでも足りないらしく、今度はその上を通して道路を作ってしまった。そんな高い橋を造って、坂も急なのに財政削減でロードヒーティングもついていなかったりする。危ないったらありゃしない。

インフラだけではなく、北海道最大の産業である観光も問題は多い。北海道は食べ物がおいしいはずなのに、ホテルや旅館の食事は一昔前の宴会料理となんら変わりない。朝食はなんだかどこに行っても同じメニューのバイキング。とろとろのスクランブルエッグとかボイルされたソーセージとか。その理由は平日の昼間に温泉街に行くとすぐわかる。業務用の冷凍食品を積んだ保冷車が行きかっているので・・・。

これらの背景には、「北海道民気質」が深くかかわっているように思う。

1.内向きの文化

北海道の人はとにかく北海道が好きだ。皆北海道新聞を読んで、北海道ローカルのワイドショーを見る。大学は北大が一番だと思っている年配の人も多い(さすがに東大よりは下だとは思っているけど、首都圏の私大は比較対象外だと思っている)。さっき観光が最大の産業と書いたけど、最大のお客さんは道民だ。北海道の人は北海道旅行が大好きなのだ!それはそれでいいんだけど、競争意識は薄いし、何より向上心に欠けているように思う。社会人で勉強したり本を読んだりしている人って首都圏と比較にならないくらい少ないんじゃないだろうか。

2.物事を深く考えない

これは「おおらかさ」の裏返しかな。あまり物事を追求して考えないような気がする。例えば客足の少ない温泉街が、皆九州の黒川温泉の成功例に学ぼうということで、どこの宿泊施設でも日帰り風呂に入れる「湯めぐり手形」を出しているところがあるが、たいていうまくいっていない。そりゃそうだろう。北海道は寒いんだから、浴衣姿で外をうろうろはしたくない。それにひなびた施設をたくさん回っても、気がめいるだけだろうから。あと大通公園のイルミネーションなどは、観光客を増やそうということで以前より大幅に期間を延長している。しかし予算には限界があって、電飾はすかすかだ。だったら期間を半分にして電飾を2倍の量にした方が、インパクトも口コミの効果も高いと思うんだけどなあ。

3.受身の意識が強い

これの典型的な例が、道産品につけられているキャッチフレーズ「試される大地」だろう。これは本当に酷い。このフレーズは公募されて決められたものだが、審査委員は別のものを推していたのだが、北海道側でこちらを選ぶことにした(審査委員会に主席していた道職員の8割がこちらが良いと言った)ため、審査委員長の倉本總氏が激怒した、という話を内部の人から聞いたことがある。北海道に来る観光客、そして道産品を買う人は、北海道の景気が悪いとか経済的に苦境だとか、そんなことは全然関係なく、北海道に対してよいイメージを持っているから選んでいるんだと思う。だったら自分が苦しいのは隠してでも、その期待に応えていき、苦境からも脱出するのが筋だろう。それを「試される」というネガティブなフレーズをそのまま外部の人に出すのはいかがなものだろう。「うちのレストランは今が正念場です」と自ら宣伝で言うレストランに食べに行きたいと思うだろうか??このあたりに「自分の苦境を理解してもらって、助けてもらおう」という受身の姿勢が現れてしまっていると思う。

ということで、この「北海道民気質」はなかなか変わらないだろう。変わるとしたら外圧かな。例えば星野リゾートがトマムを皮切りに北海道の観光産業を根本から変えるとか。

今、自分で書いていて変だな、と思ったのが、普通「外圧」といえば海外資本だけど、それが「本州」だったこと。このあたりが北海道の抱える問題の深さの表れかもしれないなー。

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