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2007年12月

紅白歌合戦は存続させるべきか

今年も残すところあとわずか。年末の風物詩はいくつかあるけど、「紅白歌合戦っているの?」という議論も毎年この時期のお約束だ。

今年で58回目になる紅白だが、今回の紅白はいつになく妙だ。まず「歌合戦」なのに紅組、白組の人数が違う。これは勝負を決めるにあたって不公平じゃないか、というクレームはつかないんだろうか?(笑) あと妙に古い曲が多い。鳥羽一郎「兄弟船」、五木ひろし「契り」・・・ 何かと思ったら、今年のテーマは「絆」らしい。それでこういう選曲だとしたら、「さそり座の女」、「津軽海峡冬景色」、「ルビーの指輪」はいったいどういう基準なんだろうか・・・

紅白は1962年から視聴率調査が行われているが、最高だったのが1963年で81.4%。これは恐ろしい数字だ。そして昨年の第2部が39.8%。毎年毎年「過去最低」とか「何番目の低さ」みたいに騒がれる。

そんな紅白も、新聞で「存続すべきか」というアンケートをすると、56%が「すべき」、18%が「すべきでない」、26%が「わからない、どっちでも良い」という結果になる。意外に「すべき」が多いのかな。

これは考えてみれば当然のことで、視聴者の側からすると、批判的ではあれあって困る人はいないわけで、なくなったら困る人が少なからずいるんだったら、別にやってもいいじゃない、ということだろう。選択肢は多いほうがいいのは当然のことだ。

一方歌手・プロダクションの側から考えても、いやであれば出なければいいわけで、あって困る人はいなくても、なくなると営業的に困る演歌歌手や、参加歌手の枠を持つプロダクションがいるだろうから、まああってもいいじゃないかと。

となるとなくなった方が良いと思っている人の1つが民放各社だろう。大晦日なんて365日分の1日だけど、注目度が高いので紅白にいろいろぶつけてくる。もっとも最近はあきらめているのか手抜きっぽいけど。民放とすると、紅白の視聴率が下がった下がったと年明けのワイドショーで騒ぐのは当然のことだ。

そして、もう1つがNHK当人だるう。もう考えるのがしんどい、と。本当はやめさせて欲しいんだけど反発は大きいし、海外で楽しみにしている日本人もいるわけで、やめることはできない。58回でやめるなんて中途半端だし。(事実NHKは60回までの共通テーマは「歌の力」と宣言しているので、そこまではやるんだろう)

1.紅白歌合戦の目的は何か?

そもそも、その年に活躍した歌手、歌われた歌を楽しむのが紅白歌合戦じゃないんだろうか。それが今ではヒット曲だったり、テーマに沿った曲だったり、単なるその人の十八番だったり、よくわかんないメドレーだったり、と全くコンセプトがはっきりしない。ターゲットは誰なんだ?もし「家族全員子供からお年寄りまでが皆で一緒になって見れる番組」を狙っているとしたら、あまりにも時代とかけ離れすぎている。

2.この視聴率は低いのか?

今どき40%いっていれば上出来じゃないんだろうか。80%の時代とは娯楽の種類も違うし、生活スタイルも全く異なっているし。それと比べて高い低いを言っても意味はなくて、最近のTV番組の視聴率と比べて議論すべきだろう。以前は40%くらいだったサザエさんも最近は20%前後だけど、「サザエさんは存続させるべきか」なんて誰も議論しないよなあ。

3.そもそも視聴率は問題なのか?

そして一番の疑問はなぜ視聴率を気にするのか、ということだ。NHKの番組で視聴率が議論になる番組は他にあるだろうか。NHKスペシャルの視聴率がどうとか。あ、朝の連続ドラマと日曜の大河ドラマはよく視聴率がどうの、と言われるか。

民放の番組は、広告料で成立するというビジネスモデルなので広告媒体としての力の尺度として視聴率はその尺度になるだろうが、NHKは別にそんなの関係ないんだし、NHKが「これが紅白だ、どうだ!」とやれば誰も文句を言わないと思う。それが妙に視聴率を気にしてポリシーのない選曲になったり、昨年突然「視聴者のリクエストを参考に」とかいってアンケートをとったのに今年は一言も触れない、みたいにグラグラ揺れるから、みんなに「もう紅白の役目は終わった」などとつっこまれるんじゃないだろうか。

いずれにしても紅白の役割が「1年を振り返る番組」、もしくは「家族そろって楽しめる娯楽番組」だとしたら、もうコンテンツが「歌」では限界だろう。そんなことは別にして「年に1度の楽しい歌合戦」に徹すれば、もう少し魅力的な番組になるんじゃないだろうか。

そんな自分は番組自体には興味はないけど、会場には一度行ってみたい。いったいどんな雰囲気なんだろうか。やはりちょっと醒めた雰囲気なのか? 観覧券は抽選なんだけど、ネットオークションでは今年も10万円くらいで取引されている。10万払ってでも生で見たい人って、誰を見たいんだろう。それとも紅白歌合戦自体のマニアだろうか。

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iPhone

海外のメディアが、iPhoneの日本発売について、NTTドコモと検討をしている、ソフトバンクとNTTドコモの一騎打ち、さらにはNTTドコモ有利、と見方の違う報道をしている。以前はiPhoneの発表会に孫さんがいたことからソフトバンクで決まりだろう(auは通信形式の違いと、Lismoを持っていることから最初から論外だったが)と見られていたが、ここに来てわからなくなってきた。はっきりしたのはもうじき正式決定になり、来年にはようやく発売されるのかな、ということだ。iPhoneは本当は売れていないのではないか、という説も一時米国ではあったが、やはり販売は好調で、今度発売されるイギリスでも年末に大きな売上が見込まれている。いやー、あれは売れると思う。日本ではドコモかソフトバンクか、どっちになるのがいいんだろうか。

1.ユーザーの立場から・・・

まずこの話の前に、日本でiPhoneのユーザーとなるのはどのような層なのか??ちなみに米国で発売1ヶ月前に行われた調査では、18-24歳の独身者が一番購入意欲が高かった。一方で購入するに当たっての障害は高い価格が圧倒的に1位、携帯キャリアの変更が大差の2位だった。日本はキャリアを変えても電話番号は変わらないので、唯一の障害は価格だろう。従ってメインの購入層は、20歳代で可処分所得の高い若者ということだろうか。彼らにとってみるとドコモだろうがソフトバンクだろうが変わりはないかもしれない。あえていえば少しだけ通話料が安いソフトバンクがいいのかな。

2.携帯キャリアの立場から・・・

ドコモは時価総額8兆円、売上高5兆円、純利益4500億円という実に安定した財務基盤を持っている。有利子負債もせっせと返して今6000億円くらい。現預金は3000億円。株主からみると実に財務効率の悪い会社だ。一方ソフトバンクは時価総額2兆円、売上高2.5兆円、純利益290億円。やはり低価格を売り物にしていることもあって収益性は高くない。ドコモと大きく異なるのが負債で、有利子負債は2兆円を超える。まあそもそも携帯電話事業をボーダフォンから買収する際に2兆円を使っているのだから仕方がないか。最近社債を発行したこともあり、現預金は4700億円持っているが、相変わらず自社の株券でキャッシュを調達するという、ITベンチャー時代の手法そのままだ。

従って、まず財務体力的にドコモが圧倒的に有利ということが言える。ソフトバンクは現在は価格プランで先行し加入者数が増えているが、今後これまで以上にドコモが腹をくくって価格競争に参入すると、この財務体力の差が大きく効いてくるだろう。ドコモとしてはひとまずソフトバンクとの価格差をなくして、価格面でのソフトバンクへの流出を防ぎ、iPhoneの導入で新たな顧客を獲得する、というのが経営戦略的にも、株主資本価値最大化のためにも実につじつまの合う選択肢だろう。というか、携帯電話事業がほぼ100%を占めるドコモは、これしか挽回する手はないと思う。

一方でソフトバンクは、iPod-touchの発売をみて、これがある以上はiPhoneは爆発的に売れることはないかもしれないと考え始めたという報道もあったが、実際のところiPhoneを買う資金は捻出できないのではないだろうか。

3.スティーブ・ジョブスの立場から

最後にアップルはどう考えるかだ。圧倒的にアップル優位の交渉なので、ここは決定に大きく影響するかもしれない。まずiPhoneをどのような位置づけで日本に投入するのか?だ。携帯にiPodがついた機械なのか、iPodに携帯がついた機械なのか、おしゃれなスマートフォンなのか、どれにもあてはまらない革命的なデバイスなのか。日本での売上を急速に立ち上げたいのであれば、現在のiPodユーザーに、電話もついた新機種として買い換えさせるのが一番手っ取り早いだろう。そうなると若者のユーザーが多いソフトバンクの方が適切かもしれない。一方で、所得的にもゆとりのある層に売り、iTunesで買い物もしてくれて、Macに乗り換えちゃったりまでしてもらうという総合的なメリットを追及するのであれば、比較的ユーザー年齢も高く、通信料の差を気にしないドコモユーザーの方がよいかもしれない。ここはジョブスの考えどころだろう。

前から思っているのだが、iPodは英語のpodcastなどまだまだ年齢の高い層にはそのメリットが知られていないので、若者だけでなくエグゼクティブ層向けにプロモーションをすればいいのに、と思う。自分がジョブスならこの点を考えてドコモを選ぶだろう。

ということで、それぞれの視点から考えても、最終的にはドコモが選ばれるんじゃないだろいうか。iPod&auユーザーの自分としては、とりあえずiPod-touchは買わず、auの機種変更も控えて、iPhone発売を待つしかない。 蚊帳の外のauはLismoに早めに見切りをつける決断を下せなかったことが敗因かな。

そういえば先月海外のメディアでは、iPhoneにはアップルへの通信機能が組み込まれていていて、ブラウザの履歴などを株価及び天気情報のアプリを通じてアップルに自動的に送信している、という報道があった。iPhoneはおしゃれで便利な音楽携帯なのか、それとも将来、ひょっとすると新しい収益モデルを生み出す仕組みに化けるのか・・・??

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ウィークリープランニング・1年=52週間

2007年も早いもので残り2週間になった。今年も1年を振り返り、1月に考えた「今年の目標」に対して何がどこまでできたのかと、ちょっと考える季節だ。
自分の場合はあまり先のことまで考えない性格のせいか、年間計画みたいなものはあまり立てたことがない。
普段は「フランクリン・プランナー」を使って、こんな感じで行動計画のようなものを立てていく。まず基本的に自分の中で仕事・プライベート関係なく、何を優先するのかという順位付けをする。これは何年かに一度見返すようなもの。何はさておき家族は全てに優先、みたいな感じで。
でそれがベースにあって、次に毎月の行動計画を立てる。月の最初にその月に何をどこまでやるかをリストアップする。それを具体的にデイリーのページに To doリストにして落とし込んでいくという感じだ。

月計画→デイリー計画という「チャンクダウン」の作業の中で、自分の中で今ひとつ中途半端なのが「週」単位の計画だ。一応フランクリンプランナーには「ウィークリーコンパス」というのがあって、しおりの中に挟んで毎日目に入るようになっている。ただ、これは元々できあがってきたフランクリンシステムの中に、「7つの習慣」を扱っていた他社との合併に伴って「7つの習慣」のレビューを週ごとにやる、というのが後付けで入ってきたものなので、どうしても「とってつけたような」感じだ。一応ユーザーズガイドには、「週ごとに計画を立てるのがいい」などと書いてあるが、システムはそうなっていない。

そして、最近感じるのは、月ごとよりも週ごとの方が、行動計画や目標管理をしやすいんじゃないか、ということだ。会社のリズムというのは月に1度の会議がけっこう多いことからもわかるように、基本的に月単位でリズムができている。一方自分個人は日々のTo doリストで管理をして、日々のもろもろのことに追われている。週単位はその中間だ。

1.週単位で管理することのメリット

1) 適度な「遊び」があり、遅れたときに挽回しやすい
基本的に計画は時としてずれ込むものだ。それを挽回してスケジュールにのせていくには、週を単位にするのがちょうどよい。
月だと取り返しがつかないところまで遅れるし、逆に余裕ができたときも前倒しで計画を立てることができる。

2)自分のノルマを設定しやすい
「週○回、××をやる」という感じで自分に対する約束事を作るのには週単位がいいようだ。
1度できなくても数日間挽回のチャンスがある。これが1ヶ月あると 長すぎる。自分の場合は、今「週に2回、スポーツクラブに行く」、「週に2回ブログを更新する」、「週に英単語をテキスト20ユニット分覚える」の3つがノルマで、何とか予定通り進んでいる。

3)日曜日の夜にゆっくり作戦を立てられる
前の週のレビューをして、翌週何をするか。これを日曜の夜にリラックスして考えることが出来る。

2.デメリット

1)サイクルが短いので、追い立てられている感じがする
月単位でリズムができると、何となくゆっくりする週があったりするものだが、そうしたゆとり感はなくなるだろう。もっともその後でよりひどい目にあうことを防ぐことになるんだろうけど。

2)デイリーの計画にきちんと落とし込まないと毎週To doリストにのったままどんどん先送りされる。
結局人間というのははさぼるものなので、きっちりと毎日のアクションリストに落とし込むことは必要だろう。それを管理し、コントロールするのが週単位の管理ということになる。

ということで、今後は週単位のレビューにもう少し力を入れたいと思う。週のプランをきっちり立てて、それをデイリーのプランに落とし、1週間の中で修正して追いついていく。そんなイメージだろうか。
発想の転換として、1年=12ヶ月ではなく、1年=52週という意識を持ちたい。
そういえば海外の手帳には必ず第○○週、って書いてあるなあ。今までは意味ないと思っていたけど、欧米の人の行動単位は週なんだろうか。自分の会社にいる外国人が、金曜日の午後になると子供のようにウキウキしているのはその表れかも。

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キャノンの問題

めずらしくキャノンでちょっと問題となるニュースがあった。ゼネコンの鹿島が所得隠しをして、その使途不明金の一部から、キャノン大分工場建設工事を受注する際に仲介をしたコンサルタントに、受注金額の3%以上を支払ったということだ。キャノンにしてみるとまあ関係ない話なのだが、そのコンサルタントがキャノンの御手洗会長と懇意にしている人物ということで記事になった。しかも大分県知事が、そのコンサルタントには知事選で世話になり、彼の存在が鹿島の受注に影響した「かもしれない」と、コメントしたのだ。

ところで、キャノンってなんで大分に工場を作ったのか。地理的には有利とはいえないと思うが、キャノンは大分に3つ工場を持っている。そう、御手洗会長の出身地が大分なのだ(つまり先祖の創業者の出身地ということ)。キャノンといえば御手洗会長の厳しい経営で、福利厚生は大幅カットしたのに、一方で大分に豪華な保養所を作ったりしている。そんなちょっと不思議なキャノンについて調べてみた。

1.強固な財務基盤

昨日現在でキャノンの時価総額は7.8兆円。日本の株式市場で6位の金額になる。売上高が4.2兆円、営業利益が7200億円。つまり営業利益率が17%で、この種のメーカーとしてはちょっと異常なくらい高い収益性だ。

この高収益を支えているのはコピー・プリンター部門だが、秘密は(別に秘密じゃないけど)トナー、インク、カートリッジなどの消耗品にある。家庭用プリンターは1万円ちょっと出せば買えるのに、インクを何色か買うだけで5000円近くになってしまう。たかがインクごときで・・・と思うけど、安いものが売っていないので純正品を買うしかない。

そう、これがキャノンの営業利益を支える収益源だ。キャノン全社の原価率は50%くらいだが、この消耗品の原価率は10%程度というアナリストもいる。なぜ高い純正品しか売っていないかというと、このカートリッジが特許でガチガチに守られているためだ。インクの安定供給の仕組みや、インクを含んだスポンジを立てて壁を作る構造などがその特許で、これが参入障壁になって他社が参入できなくなっている。

2.厳しいコスト管理

御手洗会長の政策でよく見かけるのが人件費の圧縮だ。「成果主義」の導入、工場の夏休みの半減(以前は2週間あった)、寮・社宅の撤廃、フレックスの廃止などだ。偽装請負でもキャノンの名前が出たように、人事施策に関連するトラブルはけっこう多いように思う。

3.財界活動

経団連会長としての活動は、なんとなくキャノンのための活動に見えることが多い。例えば立ち消えになったが残業代を払わない「ホワイトカラー・エグゼンプション」はキャノンの考え方そのものだし、政治資金改正法は50%以上の株式を外国人が持っている「外資系」企業も政治献金をできるようにしたものだが、これでキャノンも政治献金ができるようになった。(キャノンの株主構成は過半数が外国人株主だ)

4.今後の問題

ファイナンス面では、この高収益を支える消耗品がビジネスとして成り立たなくなるリスクがある。安いカートリッジで特許を侵害しないものが出たり、大きな技術革新でカートリッジがいらないプリンターが出たり、などだ。また1兆円を超えるキャッシュ、4500億円分の自社株など、この過大な資産を株主にどう説明していくのかも大きな課題だと思う。

そしてちらほら伺える御手洗会長の強権政治。経団連会長とはいえ、筋の通らないことを続ければ足元をすくわれることになりかねない。今後のキャノンのニュースに注目したいと思う。

ところで、今回のブログは「キャノン」と書いているけどこれは誤り。正式表記は「キヤノン」でヤは大きいのです。これは見た目のバランスからそうしているそうで、他には「シヤチハタ」「キユーピー」などがあります。変換が面倒なので「キャノン」と書きました。気づきました??

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JALと個人情報保護法

先月末、JALの客室乗務員190名と組合「キャビンクルーユニオン」が、最大労組の「JAL労組」に対し、本人の同意なく「個人情報」リストを作詞し、保有していたとして訴えを起こした。この件は2月にも問題になって処分もあったが、まだ解決していなかったようだ。(もっともこのニュースはこれまた不思議なことに翌日からマスコミはぱたりと報道を止めているが・・・)

JALが作成していた「個人情報」リストには、生年月日、住所から始まり、病歴、思想、性格、容姿など150項目!にわたるものだそうで、なかには「不妊」「バカ」「ブス」などのコメントも入っていたらしい。

あまり議論する点もないくらい低レベルの話だが、このニュースが流れるときに、「個人情報保護法」という言葉が安易に使われているのが気になった。

「個人情報」とは特定の個人が特定できる方法全て、つまり年齢、性別、生年月日、電話番号をはじめ、勤務先、クレジットカード番号、学歴、結婚暦などであり、さらには思想、医療情報、犯罪歴などの「センシティブ情報」までも含まれる。そして個人情報保護法とは、こうした個人情報を5000件以上扱う「事業者」が、個人情報を取得するときはその用途を明確に示して同意を取ること、その目的以外に使用しないこと、を定めた法律だ。ただし、ここで定義されている個人情報はリスト化されるなどして容易に検索ができる形態のものであり、ローデータは含まれない。(例えば会社員が取引先の名刺をごそっと紛失した場合、名刺入れに入っているものは問題にならないが、アイウエオ順に名刺保管ファイルに入れたものだと立派な「個人情報データベース」とみなされる。)

今回のJALのデータは、上司との評価の面接などでの話を蓄積したものであり、「ここでの話は評価にのみ使う」と合意がされていれば、個人情報保護法の観点からは問題がないと思う。ただし、もし本人から聞いた話だけではなくいろいろな噂や素行調査の結果などが入っているとすると、それを「検索できる形」で所有していたのは問題だろう。

しかし、「ブス」「バカ」といったことが書かれていた、というのは個人情報保護法とは何の関係もなく、「プライバシーの問題」か、それ以前の管理職のレベルの問題だ。

ここがよく誤解をされる点で、個人情報保護法とプライバシーの侵害は線引きが難しい。JR福知山線の事故のときに、病院がけが人情報を「個人情報保護のため」公開しなかったり(これはその後生命に関する場合や本人が判断できない場合は除くことになった)、身近な例だと学校で連絡網が作られなかったり同窓会名簿が廃止になったりといった「過剰反応」がまだ多い。

まずは「個人情報保護法」についてもう少しわかりやすく説明をすること。さらに、この法律は線引きが難しいので、セクハラの問題のように具体例をもっと示す必要があると思う。(内閣府は本法律にあてはまらないケースを例示しているが、まだ十分とはいえない)

さて、このJALの問題でもう1つ興味深いのは、これらのデータが評価に使われるとして、いったいどのような方法で査定が行われているのか、ということだ。人物評価のデータベースは日本の会社ならどこでも持っていると思うが、150項目というのは異常だろう。細かければ細かい程優れたデータベースということで増えていったんだろうか。いわゆる「人物評価」「能力評価」が行き過ぎて形骸化するとこうなるんだろう。このデータベースからは「仕事のアウトプット能力」は評価できないでしょう。

こういうニュースを見るたびにJALには「ポリシー」として乗らないようにしたい、と思うんだけど、プライベートの国内線で自分が乗るのはほとんどJALだ。プラス1000円のクラスJが快適なもので・・・。ファーストクラス導入を機会にクラスJを廃止してくれたらもう乗らないんだけどなあ。それは全然ポリシーじゃないなあ。

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食品の偽装問題

懐かしいところでは雪印、今年に入ってからミートホープ、白い恋人、赤福、崎陽軒、マクドナルド、そして昨日のローソン・・・・食品に関する消費期限や産地情報の偽装に関する問題が続出している。内部告発が続いているのか、それとも隠し切れないと判断した経営者が報道される前に告白したのか、いろいろケースはあるだろう。

ここのところ見られる偽装問題は、2つの観点から報道されている。

1.会社の体質の問題

雪印では社長が「俺は寝ていないんだ」と言い、ミートホープでは薄ら笑いを浮かべて「担当者がやったんだろう」としらをきる。やはり問題を起こす会社の人はどこか変だ。自分の会社の中の妄想の世界と、外の現実の世界がごちゃごちゃになっているような。これらの会社のように目先の利益を追求するあまり偽装が日常化したというのが1つのパターン。もう1つは小さな個人商店が体制が、体質はそのままで大きくなってしまったパターン。白い恋人、赤福はこれにあたる。白い恋人の社長は、記者会見でも「まず従業員を救いたい」「従業員は皆この困難に耐えてがんばっているんです」と身内の話ばかりしていた。

2.フランチャイズ制の問題

一方マクドナルド、ローソンはフランチャイズ制の問題という捉え方をされている。つまり問題を起こしたのは指導に従わない加盟店だ、というスタンスだ。しかしマクドナルドは今労使問題でトラブルがあるように、利益追求に対する締め付けは相当なものがありそうだし、ローソンだって本社から加盟店の指導は厳しいんじゃないかな。ローソンは新浪社長も会見に出てこないで、「事件を起こした店を営業停止」なんて言っているけど、それで許されるんだろうか。

3.問題の根底にあるのは

そして、食品偽装の問題では日本の消費者が表示をそのまま鵜呑みにするのも問題という人もいるが、それはわかんないんだから仕方ないんじゃないだろうか。

それよりも、1度決めたルールでも運用はゆるく、あいまいにするという日本人の特性が背景にあるんじゃないだろうか。日本にはグレーゾーン金利とかギャンブル、風俗などルール上明らかにおかしいものがきちんと存在できるように法の隙間が設定されている。何か問題が起きると、どこか1つの会社を取り上げて、皆気をつけろよと「一罰百戒」をする。なので、食品偽装問題を見ていても、「まあどこもこうなんだろうなあ」とか、「変な社員に内部告発されてついていないなあ」と思っているビジネスマンは多いんじゃないだろうか。

そうではなく、悪いものは全て罰して、欧米のように「百罰百戒」にしなければ、もう社会のモラルを維持することはできなくなってきているように思う。

また、そういう会社のものは徹底的に買わなければいいんだけど、白い恋人は発売再開後売り切れ店が続出しているとのこと。まあおいしいからなあ・・・

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トヨタと過労死

先週、2000年に30歳の若さで勤務中に突然死した方の妻が、彼の死を労災と認めず、遺族補償給付金を支給しなかった国を相手取って起こしていた裁判で、原告勝訴の判決が下された。たまたまNHKのニュースを見ていて少し詳しく取り上げていたのでこの事件のことを知ったが、またもや翌日以降新聞やニュースなどでもそれほどの記事にはならなかった。

ネット上でこの事件について検索してみると、この妻がこの事件について細かく語っているサイトがあった。ニュースでは、班長(EX職)に昇進してから残業が多くなった上、QC活動が労働時間として認められなかった、くらいしかなかったが、この方は自分の職務以外にも班長会の役員(土日に月1回役員会あり)、職場委員(昼休みにミーティングあり)、労働組合の委員など、様々な職務を背負っていたそうだ。死亡前の9ヶ月間は自己都合の有給休暇を全く取れなかったとのことで、最後の休暇(しかも半休)に子供を連れてレジャーランドに行ったのが、家族で遊びに行った最後のイベントになったとのこと。

1.豊田労働基準監督署は何をどう判断して労災ではないと判断したのか?

妻の話では死亡の直前1ヶ月の残業時間は144時間で、今回の裁判では106時間が超過勤務時間として認められたが、当時の労働基準監督署は45時間分しか認めなかったのだ。QCサークルが時間外なのはもちろん、直接ライン作業に向かっている以外の時間は「雑談」の時間ということだ。この認識の差は議論されないままで良いのだろうか?

2.トヨタ社員はどう思っているのか?

どこを見てもトヨタ社員の本当のコメントは見えてこない。会社への忠誠心で心の底から何とも思っていないのか。こんな会社でもやはり安定した大企業で、社員であることを誇りに思える会社なんだろうか?トヨタでは全員が月一回「創意工夫提案用紙」を提出することになっているそうだが、これは自主活動なので勤務時間内に書いてはいけないことになっている。そんな「トヨタ教」の教えを裁判でも堂々と主張してしまう会社に対しても、やはり力になりたいと思うんだろうか。「トヨタにお勤めですか、いいですね」と言われるのが誇りなのかな?仕事の割りに給料安いのに・・・

3.労働組合はいったい何をしているのか?

会社に対してモノを言い、労働者の権利を守るのが組合だとしたら、トヨタの組合は何をしているのだろうか。まあどこでも一緒で、会社の御用組合なんだろうか。労組が出世コースとか。自分が以前働いていたのも歴史ある「大企業」だが、組合の役員をやると、次に自分の希望通りの部署に行けるという不思議なルールがあったっけ。ためしに全トヨタ労働組合のページを見ると妙なことがあった。組合自体のWEBサイトはトヨタの関連会社のサーバー(Katch)を使っているのだが、この事件をバックアップする記事が載っている「組合のブログ」は外にリンクが張られていて、なぜかgooのサーバーを使っている。やはり会社の意に反することは会社関連のサイトでは書けないということの証かも。

4.これは特殊な事例なのか?

彼が生真面目な性格で、奇特にも仕事以外のもろもろの業務を一手に引き受けていただけなのか?それともこうした事例はよくある話で、仕組みの問題なのか。彼の場合は正社員でしかも班長職に引き立てられたのだから、そうはいっても一般社員や業務請負の社員、下請けからの「応援」社員よりも給料はもらっていたから、これくらいは働いても当然だ、という風潮なのだろうか。恐らく死なないまでもこうした労働問題はよくある話で、ニュースにはならなくてもいろいろあるんだろう。

5.マスコミがトヨタの問題点を報道しないのは、そろそろ問題にしなくて良いのか?

そしていつも話題に上がるのが、トヨタに対するマスコミの姿勢だ。昨年、北米トヨタ社長が秘書にセクハラをして200億円以上の訴訟を起こしたときも、小さな記事にしかならなかった。日経新聞にいたっては、AP電の短い記事を載せただけ。つまり「APで記事にしたからうちも一応記事にした」というスタンスを見せたということだ。(ちなみにその後もほとんど記事になっていないが、提訴から3ヶ月後にスピード和解し、和解内容は一切公になっていない)。その後昨年から今年にかけて、例年にない不良・リコールの問題が起きているのに、日本ではそれほど記事にならない。「品質のトヨタ」「トヨタの生産方式の秘密」みたいな本がいまだに出版されているが、海外の新聞や雑誌ではトヨタの車は品質に問題が多い、という扱いだ。そして最近見たんだけど、トヨタのフィリピンで、社員の親睦を深めるという活動の集会で、ストリップ嬢を呼んで大騒ぎし、「親睦を深めた」という事件があったらしい。これはマスコミもあまり触れていないんじゃないかな。

今回のこの判決も、日経では社会面の左上のあまり目がつかないところにさらりと載せられていた。しかもその日の「企業欄」でトヨタが環境面に配慮した事業をしているということで賞賛される記事が載っていた。日本の広告費のトップを占める大広告主様には、それくらいの配慮は当然ということか。

ひとつの突破口は、ここのところトヨタの批判本が結構出ているということ。先月でいうと「トヨタの闇」。もちろん新聞で宣伝広告は出ないけど、本屋ではけっこうヒラ積みになっている。こういうところから世論に影響すればいいけど、やはりテレビ、雑誌、新聞にはかなわないか。

今回の訴訟を伝えたNHKニュースのインタビューで、奥さんは「夫に何と言ってあげたいですか?」と聞かれて、気丈な笑顔でこう答えていた。

「ゆっくり休んでください、と言ってあげたいです。寝るときが一番幸せだ、といつも言っていたので。」

なんてせつない言葉だろう。家族と遊ぶときよりも、眠るときが幸せだなんて。自分は「寝るのがもったいないけど、翌日の仕事に影響するから仕方なく寝る」という感じだけど。人間には会社員、父親、夫、などいくつかの役割があって、それらのバランスが取れている、ということが大切なんだろうと改めて思いました。

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