最後の授業

自分は2年間、ビジネススクールに通っていた。そこは大学とは異なり、自ら面倒な選択をして自分を鍛えよう、という意志を持った人間の集まりだった。
毎日ケースを読み、問題を整理して解決策を考え、整理するのに足りない理論面は自分で読み込み、授業でディスカッションをしながら頭をフル回転させる、その連続だった。
それほど面白くもない授業もあるが、教授も熱意を持ってのめり込み、まさに毎時間が真剣勝負、というような授業は、本当に終わるのが惜しかった。
最後の授業では、自分の人生談を語る人、我々へのエールを語る人、その科目のエッセンスを一言で言う人、さまざまだった。マーケティングの教授の最後のコメントは、「マーケティングはロジックだということがわかっただろうか。全ての要素が論理的に矛盾していないマーケティングプランでさえ、成功するかはわからない。ただ言えるのは、プランの上でロジカルでないものは実行しても必ず失敗する。」 ファイナンスの教授は「結局ファイナンスなんていい加減なものです。」 うーん、面白かったし、社会人に復帰した数年後の今でもなお納得する。
2年生の時の証券理論の先生はさんざん最新の理論を叩き込んだ後、最後に生徒全員に「幸福論」という哲学書をプレゼントして、「ビジネススクールは別に最新の理論を学ぶところではない。そんなものはすぐに古くなる。ましてやMBAなんていうタイトルのためでもない。これからどのような困難なことが起きてもあきらめずに解決しようという姿勢。自らを奮い立たせる”Attitude”を身につけるところだったということだ」と締めくくった。
こういうのはどこでもあるようで、ハーバード・ビジネススクールではこの「最終講義」を集めた本も出ていたりする。(「ハーバードからの贈り物」by デイジー・ウェイドマン)

さて、本題は「最後の授業」という1冊の本。最近ネットでも話題になっているので知っている人も多いだろう。
カーネギーメロン大のランディ・パウシュ教授が、膵臓癌で余命数ヶ月と宣告され、その「最後の授業」をしたときの話だ。本はその後書かれたものなので、まずは実際の授業の模様をYouTubeで見るのがおすすめ。「最後の授業」と入れれば10個くらいのファイルに分かれているのですぐわかるでしょう。なんと日本語字幕つき。もしくはDVDつきの本を買ってDVDをまず見るといいだろう。
彼はまだ40歳代で子供は5歳、2歳、1歳。んー、想像するだけでやりきれない。そして最後の授業は病気の話でも、家族の話でもなく、自分が子供のころから何を夢見て、それをどうやって実現してきたかの話だ。
授業は笑いの中で行われ、最後にこう締めくくられる。
「今日の授業でHead fakeに気づきましたか?」
Head fakeと辞書で引いても出てこない。字幕では「頭のフェイント」と訳されていたが、つまり本人は気づかないままに、その時は気づかないが後になってわかる教え、というような意味だ。
「今日は夢をいかに実現するかについて話をしたのではない。それは逆で、人生を正しく生きていれば、運命は自然と動き出し、夢の方から近づいて来るものだと思う。」
うーん、なるほど、一本取られたなーと思っていたらさらにこう続く。
「それでは2つ目のHead fakeには気づきましたか?」
「それは、この授業は皆さんのためではなく、私の子供のためにしたのです。」
本当にすばらしいエンディングだった。
彼は自分の舞台である「授業」を通じて、今はまだ小さくて自分の想いを伝えられない子供たちに、父親としてタイムカプセルを遺そうとしたのだ。
ガンジーの言葉に"Live as if you were to die tomorrow, learn as if you were to live forever." という言葉がある。
大げさだけど、たまには思い出してせめて反省だけでもしなくちゃ・・・。

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iPhone

さて何だか突然盛り上がってすーっと冷めた感じのiPhone発売でありました。
結局自分の場合は、一応6月14日に入れた「仮予約」がいまだに生きていて、「入荷次第連絡する」という状態が続いている。別に1日を争って欲しいものでもないのでいいんだけど・・・。
ネット上でも、次第に「ここが不満」というコメントも出揃ってきたかな。これが結構面白い。
インターネットがしょっちゅう落ちる、とか電波が弱くて自宅でつながらない、というような初期不良みたいなものはおいておくとして、結構多いのが
・ 絵文字が使えない
・ メールが使いにくい(コピペができない、など)
・ 着信音が選択できない
・ 携帯サイトにアクセスできない
といった点だ。そういうところに価値を感じる人がiPhone買っちゃだめだろう、と思うんだけどなあ。
今回の発売で考えさせられたのは、iPhoneとは「アップルのiPod に通話機能がついた」のか、「ソフトバンクの携帯電話にiPod機能がついた」のか、どっちを強調して売るのか、というマーケティング上も問題だ。製品としては明らかに前者だろう。通話機能は本当におまけで、あくまでこれはiPod touchの改良版だ。
しかし日本では後者のようなイメージを与えている。iPhoneといえば孫さんが思い浮かぶし。しかしこれを携帯として売り出すと、日本の携帯でおなじみの機能が欠けていることばかり目につくのではないだろうか。上に書いた批判は全て「携帯電話のヘビーユーザー」の視点であることからもわかるんじゃないかな。
iPhoneは音声通話はあくまでおまけで、音楽を聴けるというのもおまけで、やはり「通信端末」なのだと思う。単に「クール」なイメージだけでは、本当の凄みは伝わらないのではないだろうか。
「iPod touchが少し大きくなって、細かい機能はプラスされて、電話もできて、メールは使いにくいけどまあ使うことはできる。毎月の固定費は7000円以上かかるが、これから便利な使い方がどんどん生まれてくる、ちょっとクールなプラットフォームといったところですが、何か?」という感じかな。
「ポジショニング」というのはイメージづけるのは大変だし、一度ついてしまったものは変えるのは難しい。iPhoneはアップルストアで売るべきだったのではないかと思う。

発売後、いろいろな人が、iPhoneをばらばらに分解して部品のコストを洗い出し、原価の計算をしている。8GBのiPhoneの推定原価は174ドル。だいたい原価率は55%らしい。第一世代iPhoneよりもコストダウンに成功したようだが、それでも結構高いなあ。アップルとしてはこの端末を持たせて、そこから先どれだけ課金できるかが今後の課題だろう。
一方ソフトバンクにとっての最大の問題は、これからデータ通信量が膨大になっていくのに対してインフラ整備が追いつくのか、ということだ。財務上、それに耐えうることができるのかどうかは疑問だ。

ちなみに原価率55%というと、都心で毎日弁当を売りにくる優良企業、「玉子屋」の弁当の原価率(53%)とほぼ一緒だ。弁当の種類は1種類のみ。毎日数万個作ってロスが数個、という徹底したシステムの企業である。iPhoneもなかなかやるなあ。

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夫婦げんか

最初に言っておきますが、今夫婦げんかをしているわけでも何でもないですので・・・Harvard Business Reviewの8月号に、「パートナーシップの心理学(35年、3000組の夫婦の分析に学ぶ)
」という、心理学者ジョン・ゴットマンのインタビューが掲載されている。彼は3000組の夫婦を時系列で調査し、家庭内の人間関係について科学的な研究を重ねてきており、そこから得られる考え方が職場内での人間関係にも当てはあまるのではないか、という記事だ。もっとも本人は「簡単に当てはめて語らないでほしい」と言っているが。

良い関係の夫婦の会話には、特に夫が妻に対し、「それは思いつかなかった」「君が重要だと思うならやってみよう」というように、会話のあちこちに肯定的な表現が振りまかれているそうだ。逆に問題がある夫婦の場合は、「そんなのありえない」「俺に指図するな」など否定的な言葉が多く見られるらしい。つまり、男性が女性からの影響を受け入れることができるかどうか、これが夫婦関係における最大の決め手になるとのことだ。定量的に言うと、これがうまくできな夫婦の81%が自然崩壊するという結果が出ている。

ちなみに夫婦間で口論になるのは何か。ゴットマン氏は2005年の夏に900件の口論について分析しているが、お金、嫁姑問題、というような具体的なお題で口論をしているわけではない。口論の大部分は・・・「けんかの仕方」に関するものだったそうだ。
例えば夫がテレビのチャンネルを次々に変えていき、それに対して妻が「ちょっとその番組つけておいて。面白いから」と言う。すると夫は「うん、けど他にどんなのをやっているか確認を」と言ってリモコンをいじりつづける。妻が文句を言い続けるので、夫は「わかりましたよ」と言ってリモコンを妻に渡す。すると妻が怒りだし、「そのわかりましたって言い方が気に障る」といい、夫が「お前はいつだって自分の思い通りにならなきゃいられないのさ」と応酬する、といった具合である。
うーん、つまらん・・・と思ってしまうけど、まあそんなもんだろうか。わが家ではないなあ。
こうした問題が意外に面倒なのは、正面からの修復法がないことだ。後から真面目に「あのリモコンの件を話し合おう」ということには絶対にならない。ひょんなことから仲直りをするしかないが、その「ひょんなこと」が生まれなければ意外に溝は深くなる。

ゴットマン氏いわく、人間関係で注意すべきことは「あら捜し」、「自己防衛」、「拒絶」、「軽蔑」とのこと。特に軽蔑は嫌悪感を伝えて人間関係を壊すので、最も良くないそうだ。
うーん、今日の話におちはありません。ストレートに面白い研究だなーと思ったのでまとめてみました。

そういえば、昨年末頃、iPhoneの話を書いてから半年。予想に反してまずSoftbankから出ることになり、いよいよ金曜日発売。NYでは早くも並び始めているようだけど・・・ 自分は何も考えずに発表直後に仮予約を入れました。まだ入荷台数が確定せず、どうなることやらわかりませんが。意外に大量入荷するという説と、1店舗に数台という説が入り乱れているようです。Softbankとしては当日大行列になって話題になりつつも、「どんなものだかよくわからない」うちに大量販売してしまうのが良いだろうから、ぎりぎりまで情報は出さずに行列を作らせてマスコミに宣伝させるんだろう。はたして「ワンセグのついていない」「意外にランニングコストのかかる」携帯が売れるのか?ipodユーザーが買うのか、新規ipodユーザーが買うのか?年末くらいには結果が出るんだろう。

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タバコ:タスポと値上げの問題

明日から首都圏でも自動販売機でタバコを買う時にカードが必要になる。「タスポ」というそうだ。何の略かな、と思ったら「タバコ・アクセス・パスポート」の頭文字らしい。
自分はタバコを吸わないのでどうでもいいんだけど、最近タスポに値上げ議論にと何かとタバコが話題になるので、ちょっと考えてみた。
日本の成人の喫煙率はどれくらいかというと、2007年5月で男性40.2%、女性12.7%。世界的にみると、2002年のデータで全世界平均が男性39.4%、女性16.0%なので、男性は高く、女性は低い。面白いのは他の先進国。男性は日本人よりかなり低く、女性は逆にかなり高いのだ。米国が男女それぞれ25.7%、21.5%。英国は27.0%、26.0%。ノルウエーだと31.0%、32.0%で男女が逆転する。男女の差が小さいのが先進国の特徴だとすると、発展途上国の特徴は男高女低。まさに日本は喫煙率の傾向は発展途上国と同じだということができる。これはどうしてだろう?歴史的な背景か、遺伝上の特徴でもあるのだろうか?
県別にみて面白いのは北海道。女性の喫煙率が22.5%と、全国平均の12.7%をはるかに超えていて、しかも30年以上首位を守っている。男性も高く、2006年までは20年以上トップだったらしい。これはどうしてだろう?確かに多い気はするなあ。ちなみに2000年12月に、エアドゥが道民は喫煙率が高いことを理由にあげて喫煙席を設定したくらいだ。反対にあって翌年3月1日に廃止されてしまったけど。

1.タスポの問題
既に導入されている地域ではやはり問題が出ているようだ。例えば種子島での実験結果は、導入直後は未成年者の喫煙補導数が減ったものの、その後は逆に増加している。これはカードの売買や先輩・後輩での貸し借りなどが増えたせいである。それはそうだ。タスポは「タスポを発行してもらった人が成人である」ことの証明であり、「タスポを持って自動販売機でタバコを買おうとしている人が成人である」ことの証明には全くなっていない。こうしたICカードシステムは海外だとドイツで導入されているそうだが、どうして免許書ではダメだったのだろうか?免許書を持っていない人だけ、証明カードを発行する、という方が費用もかからずに済み、かつ未成年者に対する抑止力になったのではないだろうか。
それでも全員を対象にカードを発行したとなると、そこで誰かが得をしているとしか思えない。やはり搭載された電子マネー”ピデル”関連だろうか。

2.値上げの問題
タイミングを同じくして、財源確保と健康増進のため、1本1000円程度まで値上げすべきとの議論が始まっている。元は日本財団会長の笹川陽平氏が言い始めたもので、今では国会の超党派議連が発足している。
理屈は単純。日本のタバコは安い→だから喫煙率高い→値上げすればいい→税収はあがり、喫煙率も下がる、というわけだ。
ちなみに海外でのタバコ(20本1箱)の価格は米国817円、英国1160円に対し、日本は273円と確かに差は大きい。あれ、フランスは340円。これは例外かな?
これらの国にならい、日本もタバコを1箱1000円にすると、税収は9兆5000億円増える。ただ値上げすると吸わない人の増えるが(ファイザーのアンケートだと1箱500円になったら54%が、1000円で79%の人が禁煙するという結果が出ている)、仮に3分の1の消費量になっても3兆円以上の増収になるので、健康にもいいし、いいじゃないか、というわけだ。
ここに出てくる登場人物は喫煙者と国(税収の問題)だが、欠落しているプレーヤーが1人いる。JTだ。JTとしては消費量は売上げに響くし、税収がどうなるかは利益に響いてくる。つまり値段と喫煙率と税収をシミュレーションするためには、JTにとっての利益を考慮に入れなければならないが、その点に触れた議論は少ないように思う。
この点を考慮したレポートは某証券会社のJTに関するアナリストレポートで触れられていた。ここでは1989年から2006年の成年人口数とたばこの平均価格をベースに回帰分析を行っている。結論は1箱1000円にしてしまうと、需要は大きく減り、税収もJTの手取り分も大幅に減少してしまう。価格ごとに計算すると、1箱500円で1本あたりの税金を5円増税したときに、税収もJTの取り分も最大化している。従って今後の議論の後、1箱500円程度まで値上がりする可能性はあると思う。
どうしてJTの利益を考える必要があるか。それはJTの最大株主はだれか?を考えると明らかだ。それは「財務大臣」。先週発表された有価証券報告書を見ても50.02%の大株主だ。国が禁煙策を打ち出す一方で、タバコ会社の株主利益を追求しなければならない立場にいる、ということになる。一体どうする気だ!?!?

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公務員は安定なのか?

ここのところ、大阪府の職員と橋下知事とのやりとりがよく取り上げられている。別に橋下知事を支持するわけではないが、大阪府の職員のコメントも一般常識から考えるとちょっと外れていて、まあどっちもどっちという感じかな。
例えば、大阪府職員は4時間あたり15分の「有給休憩」を与えられている。民間平均よりも勤務時間が45分長いということもあるようだが、こうした実質上の「タバコ休憩」を廃止する動きがある。それはそうだろう、というかそんな休憩がある方が驚きだ。それに対する職員の反対意見がさらに驚きで、「休憩が廃止されると昼休みを除いてずっと気を張り詰めて仕事を続けなければならず、気分転換をするのもはばかられる雰囲気になる。タバコを吸いながらの意見交換も重要な情報収集だ・・・」みたいな意見があった。
意見交換は仕事に関する話ならどうどうと勤務時間にすればいいだろうし、そもそもこの人は今まで1日何時間くらい「気を張って」仕事をしてきたのか、ぜひ聞いてみたいものだ。
あと、賃金一律カットに対する団体交渉でのコメント。「私が何か悪いことをしたとでも言うのですか?」
うーん、これが公務員の仕事に対する意識を端的に表しているのだと思う。「悪いことをしていなければ問題はない」と言いたいのだろうか。自分達1人1人が問題提起をせず、結果的に組織全体が傾いてしまったことに対し、心の中で「自分には関係ない」と思うならまだしも、カメラの前で本気でこういう発言をしてしまっているのだ。
彼らの意識の根底には、「公務員は安定している」という考えがあるのだろう。だからこそ公務員になったんだし、周囲には「公務員は安定していていいわね」などと言われるし。
しかしかつて安定していると思われていた伝統的大企業が、株主からの監視が強まるにつれ、ガバナンスが強まり、早期退職や解雇などのリストラを既に行う世の中だ。これまでやはりガバナンスの全く効かなかった公務員に対し、納税者による監視が強まり、その圧力に加え革新的な知事(企業で言うと社長)が送り込まれてリストラに取り組む。構図は同じであり、もはや公務員は安定とはいえないんじゃないだろうか。
そうはいっても「公務員は解雇できない」のかな、と思っていたら、法律上はそうではないらしい。

国家公務員法第78条(本人の意に反する降任及び免職の場合)
職員が、左の各号の一に該当する場合においては、人事院規則の定めるところにより、その意に反して、これを降任し、又は免職することができる。
第1号  勤務実績がよくない場合
第2号  心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合
第3号  その他その官職に必要な適格性を欠く場合
第4号  官制若しくは定員の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合

そう、勤務実績にかかわらず「予算の減少により過員を生じた場合」は「本人の意に反して」解雇することは可能なのである。
ただ、ここがおかしいのだが、実効上は1969年の国家公務員の人数を抑える総定員法制定の条件に「公務員の出血整理や本人の意に反する配置転換は行わない」というのがあり、これが今なお守られているとのことだ。法律に明らかに反する「慣習」であり、法律がある以上は運用上歪められることなく徹底されなければならないのではないか。
それがなぜできないのか?

答えは簡単。徹底するのは公務員本人だからだ。やはり株式会社で、取締役が自分たちを取り締まるわけがないのと同じだ。公務員の合理化は、ガバナンスの仕組みをきちんと作らないと、単なる短期的な賃金カットだけでは絶対に成功しないだろう。

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事件、事故と報道

秋葉原で恐ろしい事件が起こった。心からご冥福をお祈りします。

そしてまたいつもの通り、連日報道が続いている。職場での行動、携帯サイトでのやりとり、親による謝罪、学生時代の友人の証言、文集に書かれているおかしな表現・・・そんなに皆興味があるんだろうか。少なくともマス・コミュニケーションで広く報道する意義があるんだろうかといつも思う。

特に最近少し減ったものの「硫化水素ガス」による自殺。続いて起こる背景には、報道を見ての連鎖反応もあると思う。ある朝のワイドショーではガスが家庭用品の組み合わせで簡単にできることまでばらしてしまっていた。ネットを見れば出てくることだが、報道してどうする?

自殺の報道に関しては、WHOがガイドラインを出している。遺書を公開しない、手段を詳細に報道しない、自殺の理由を単純化して報道しない、センセーショナルな報道を避ける、などだ。しかし日本のTVは全くこのガイドラインを無視しているようだ。やはり見ている側に「予備軍」がいることを前提として報道する、という点をしっかり意識しなければならないと思う。凶悪犯罪もそう。この一連の報道が、「予備軍」を刺激する可能性があることについて、マスコミは責任を持たなければならない。

犯行に使われたナイフがどうとか、携帯サイトへの書き込みがどうとか・・・そうなるとそのタイプのナイフを販売中止にして、携帯サイトへの書き込みは通報を義務付けて・・・という流れになっているが、再発を防ぐには他にやるべきことがあるはずだ。例えば、秋葉原には路上でのパフォーマンスを取り締まるためにたくさんの警官がいたはずだ。彼らがもっとできることはなかったのか?そいういったあたりを追求してもいいのではないだろうか。

TVに対する文句といえば、先日のW杯予選オマーン戦。アナウンサーはしきりに気温が高くて過酷な環境、まさに中東とのアウェーゲームなどとコメントしていたが、現地時間の夕方スタートなどという試合はあり得ないのだ。つまりオマーンチームにとっても経験したことのない暑さの中の試合だったことだろう。どうして夕方スタートなのか?それは日本時間では22時スタートがぎりぎりだったということだろう。そう、今回の試合開始時間は日本での放映権の関係で決まっていたということだ。つまり過酷なアウェーゲームを作り出したのは他でもない、マスコミということ。何やってるんだか・・・

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新ニッポン人

昨夜、TV東京で久米宏の「新ニッポン人」という名で現代の20代の若者に関する特集があった。今の20代は消費性向がそれ以上の日本人と大きく異なるらしい。

まず車。20代の車保有率はこの数年で20数%から10%代前半まで大幅に減少している。別にお金がなくて持てないのではなく、持つ必要性を感じないからだそうだ。

そしてお酒。とにかくビールを飲まない。苦いからだそうだ。1杯目にサワーを頼むとあとはおしゃべりに専念して、酒は飲まない。2杯目に牛乳+生クリームのせを頼んでいる男性も映っていた。20代の3人に1人は酒を飲まないらしい。

次に海外旅行。行きたいとも思わない。自分が若い頃は(いや、今も)海外に行きたくて仕方がなかったけどなあ・・・。かといって国内旅行をするわけでもない。

マージャン、パチンコなんてとんでもない。そんな彼らは、休日はひたすら家にこもってインターネットとゲームで過ぎていく。行動範囲が非常に狭く「1マイル圏内」から出ないそうだ。

これらの「消費しない」傾向は、お金がないからかというと、そうでもない。番組中では極端な例として200億円以上のデイトレーダー(BNFと呼ばれる若者で、ジェイコム誤発注事件のときに40億投入して20億もうけた人だ。確か千葉の実家に住んでいるはずだが、都内の高層マンションに引っ越していた・・・どうでもいいけど)が出ていたが、お金はあってもあまり使うことに興味はなく、昼はぺヤング、夜は立ち食いそば、みたいな感じだった。

消費をしない一方、「貯蓄」はどうか。これがしっかりと貯金をするそうだ。しかも老後に備えて・・・。そんなことでは多少のお金はたまっても、カネを自分の力で稼ぐスキルも身につかないだろう、なんて思ったけど、それは旧ニッポンジンの理屈なんだろう。

そして消費しない彼らも、社会貢献には関心があるようで、海外旅行には関心はないがボランティアツアーにはどんとお金を使うらしい。うーん、難しい奴らだなあ。

番組としての結論は、彼らは生まれた頃がバブル崩壊、そして高校生の頃が就職氷河期と、常に社会の厳しい側面を見て成長してきた。なので自分の、さらにはニッポンの将来に大きな不安を抱いているので、それに備えようとしているのではないか、という分析だった。一貫してそれに対して「理解できない」「かわいそう」「生命力が弱いので心配だ」みたいな批判的なトーンだったと思う。

1.彼らは頼りないのか?

ひょっとすると非常にまともでしっかりしているだけかもしれない。ゲストの年配者が「俺の若い頃は借金してでも金を使えといわれた」と言っていたが、若者と比較するとそっちのほうがよほど子供っぽい。今の20代の方が、よほど真剣に自分のことを考えているのかもしれない。

2.本当に皆考えているのか?

一方、本当にそうなのかなー、という疑問も残る。単に人と関わったり、自分で考えたり、そうしたこと全てが「面倒」なだけかもしれない。その延長戦上が低消費であり、貯蓄だとすると、旧ニッポン人の心配はそのとおりだろう。

3.ところでこの番組は何を言いたかったのか?

最後までこの疑問は解けなかった。いったい何をいいたいんだろう?単なる問題提起か?

車が売れない、お酒が売れない、というテーマを民放で取り上げるのは恐らくタブーなんだろう。TVでやらなければ気がつかないかもしれないのだから。そんな中、せっかく取り上げたのに、分析の切れ味がさっぱりなかった。ゲストは3人。まず小池百合子は自分の政治の話ばかりだった。ETCがどうとか、関係ない話をするし。次に岡野工業社長。年配の代表だが、ひたすら「今の若者はダメ。というかかわいそう」と言うだけで、彼らの性向を理解しようともしていなかった。最後に「新ニッポン人代表」のゆうこりん。それはないだろう。新ニッポン人の不思議さを強調しようとしたのか?

こんな感じなので、せっかく「民報のタブー」に挑戦しようとした興味深い番組が、ただ不思議な若者を映し出しただけで終わったのが大変残念だ。ぜひ続編で、「景気が悪い時代に育ったから」というだけではなく、彼らの心理を解き明かしてほしいと思う。

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成果主義から定性評価へ

今日の日経新聞で、三井物産の人事評価制度の話が出ていた。この会社では成果主義を導入し、売上高の前年比、新規事業件数などの定量的な評価で給与に大きく差をつけていたのだが、それをやめて定性評価に戻したという内容だ。

成果主義だと「稼ぐ社員がいい社員」、「業務知識や人脈は人に教えると損」という風潮が広まり、「人の三井」の強みが損なわれてきたとのこと。

変更後の定性評価の項目は以下のようなものである。

・企画立案:

広い視野で先を見通して構想する

・実行推進:

人をひきつけ、協働する

信念と熱意をもってやりとげる

・人材育成・指導:

    相手を知り、持ち味を認める

    期待をかけ、仕事を任せる

三井物産のマネージャーのコメントとして、人事面接の雰囲気が明るくなったとあったが、それはそうだろう。頑張っていれば結果は問われないわけだからなあ。頑張るだけなら誰でもできると思うけど・・・

1.   成果主義が悪いのか?

三井物産の人事企画室長は「利益評価からプロセス評価へと変えた」とコメントしている。そう、三井物産の評価は「成果主義」というよりは「利益評価」だったからうまくいかななかったのではないだろうか。上であげた「企画立案」、「実行推進」、「人材育成・指導」は全て成果を測ることは可能だと思う。そこを問わずに「プロセス」だけ評価するのはなぜだろう。どうやって評価するのだろうか。納得のいく評価がつくのだろうか??

どうも成果=利益=悪という思考にとらわれているような気がする。

2.   単に昔のやり方への回帰か?

三井物産はこの他にも、新入社員の大半に寮に入ることを義務づけたそうだ。その点から考えると、ひょっとすると単に「昔のやり方はよかった。最近の若者は甘い。昔のやり方で彼らを鍛えるべきだ。」という、先輩社員のノスタルジーからくる揺り戻しかもしれない。

昔のやり方が良いのか、今のやり方が良いのかはわからないが、現在の若者の考え方、時間の使い方が変わっていることだけは確かだ。

最近、部下との「飲みゅニケーション(死語)」を推奨し、会社が費用を出すという会社の記事も読んだが、自社の若者の変化に対応できない会社が市場の変化に迅速に対応できるとは思えないけど。

ということで、この成果主義と定性評価の間の揺り戻しがどういった落とし所に落ち着くのだろうか。

ところで「業務知識や人脈は人に教えると損」という考え方。これって本当に間違いだろうか。一人一人が「人に教えると損だな」と思えるくらいの知識や人脈といった「情報」持つような会社は、ひょっとすると理想のプロ集団かもしれない。ただ日本では大学で一度頭を「リセット」して、真っ白な状態から社会人教育が始まるので、やはり知識・知恵の伝承は必要なのかもしれない。でも自分達が学生の頃と比べると、最近の学生はきちんと勉強して優秀な学生が多いので、こうした考え方も改めなければならないかも。

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水着競争:現場に答えはあるのか

世界新記録連発で注目の、SPEEDO社のレーザー・レーサー。体を締め付けて筋肉の揺れを軽減したり、縫い目のない縫製を実現したりなどで推進力が増しているとのことだ。自分は泳がないのでさっぱりわからないけど。

そして今話題なのが、日本水泳連盟が2012年まではアシックス、ミズノ、デサント(arena)の3社と契約をしているため、日本選手が北京五輪で着ることができないという点である。もっとも2006年6月までは、SPEEDO社の水着はミズノがライセンス契約を結んで販売していて、北島選手を始め多くの日本選手が着ていたわけで、まあ運が悪いということだろうか。

1.3社との契約に問題はなかったのか?

日本水泳連盟は3社とオフィシャル・サプライヤー契約を結んでいたわけだが、独占の見返りに巨額のスポンサー料をもらっているのだろう。それにしても「独占」ということは、他社に劣る水着である可能性も含めて「独占」であるわけで、他に優れた水着が出る可能性は考慮していなかったのだろうか?3社にはブランドの宣伝というだけでなく、優れた水着を提供する「義務」があるわけで、何らかのターゲットを設定して、これを縛る契約にすることはできなかったのだろうか?

2.水泳は団体競技なのか?

個人的にメーカーとスポンサー契約をしている場合は別として、連盟として個人である選手に水着のメーカーの制限をつけるという発想が理解できない。日本全体へのサプライヤー契約であるなら、チームジャージとかキャップとかで揃えるべきで、水着は個人の好みの問題が大きいので縛らない方が普通の発想ではないだろうか。例えばサッカーはシューズは個人の好みで作っており、いくら日本代表のユニフォームのサプライヤーがアディダスだろうがシューズにまで縛りはない。

いつもオリンピックなどで気になるのだが、「チーム日本」が強調されていて、試合の合間の選手も皆応援に駆り出されていたり、まるで団体競技のようだ。柔道よりもそれを強く感じる。

3.日本のメーカーが悪いのか?

報道の論調も、SPEEDO社との技術競争に負けた日本のメーカーが悪いように書かれているが、オリンピック級の選手の水着は、選手の要望を最大限に聞いて開発されているはずだ。レーザー・レーサーは非常に薄い布地でできているそうだが、日本人は透けるのをいやがり、薄い布地を嫌うらしい。また「動きの邪魔をしない」ことを重要視してきたので、着るのに30分もかかるような、きつい水着は嫌ってきたのだろう。つまり日本のメーカーは選手に水着を合わせてきたのに対し、SPEEDO社は水着に選手が合わせることを求めてきたということだ。

大きな技術革新・イノベーションのヒントはやはり現場にあると思う。しかし、答えがいつもそのままあるとは限らない。現場がまだ知らないこと、もしくは間違っていることもあるということで、そこをあえてくつがえすところに大きなイノベーションが生まれるということだろう。

ちなみにレーザー・レーサーは既に一般向けに予約販売が始まっていて、タイプによって価格は異なるが4万円台から6万円台。何かと「世界新連発」と機能面ばかり強調されているが、デザインはコム・デ・ギャルソンとのコラボで、右足には「心」という字をモチーフにしたデザインが施されている。これを日本人が着れないとしたら、皮肉だなー。

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家事の値段

今日は母の日。

毎年この次期に、米国の「Saraly.com」という会社が、主婦がしている家事に対して給与を支払うとするといくらになるか("Annual valuation of mom's job")、という試算を発表している。

この会社のウェブサイトでは、子供の数や家事にかかる時間などを入れていくとそれが年俸いくらに相当するかを試算するサービスがあり、これをもとに計算しているのだが、今年の値段はカナダの専業主婦で1,280万円、兼業主婦で770万円(仕事の収入を除く)とのことだった。なぜか米国はもう少し安くて専業主婦が1,200万円。2年前が1,500万円超だったことを考えるとやはりサブプライム問題が影響しているのだろうか?(笑)

これだけの金額になる大きな要因は、残業時間の多さだ。専業主婦で月平均90時間以上、兼業主婦でも仕事以外に55時間にもなる。この数字を見ると年収1,200万に満たないサラリーマンに、「俺は毎日仕事で大変だ」という資格はない、ということになる。

ちなみに日本で行われた試算を探してみると、15年前に茨城県が実施したものがあり、一番高く見積もられた25歳~34歳の専業主婦でわずか333万円となっていた。茨城の主婦が特に仕事をしないわけじゃないだろうし、まだまだ「家事は女性がやるもの」という根強い考え方が日本にはあるんだろう。

ちなみに母の日というのは世界中どこでも存在する。5月の第2日曜日は米国、カナダ、ドイツ、イタリアなどで、あとは5月が多いがばらばらだ。

一方父の日は日本もそうだけど母の日に比べて盛大ではない。もともと米国で「母の日があるんだから父の日も作ろう」とバランスを取るために作られたくらいなので・・・

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